2012年2月5日()

1200年の時を超え よみがえる慧日寺金堂

 平安時代に最澄や空海と並び称された高僧・徳一が開いたという磐梯町の慧日寺(えにちじ)。国指定史跡の寺院跡は壮大な伽藍(がらん)跡を今に伝え、当時の奈良や京都に匹敵する仏教文化が会津にあったことを物語る。その象徴的な建造物として、町が復元作業を進めていた「金堂(こんどう)」が3月に完成する。国の指定を受けた古代寺院跡で中心的な建物が復元されるのは全国でも初めて。多くの人々の熱意によって、埋もれていた歴史に再び光が当たり、往時をしのばせる金堂が1200年の時を超えて今、よみがえる。

(20)“本物”招き各種舞台 門前町の風情も復活

遺跡の調査開始から四十二年の歳月を経て復元された慧日寺金堂。磐梯町は今後、金堂をどう活用していくのか。五十嵐源市町長が将来へのビジョンを語った。
(2008/03/30)

(19)歴史のロマン感じて 会津仏教文化の象徴

県立博物館学芸課長などを務めた県文化振興グループの若林繁参事は、慧日寺の金堂復元をきっかけに会津の仏教文化に再び脚光が当たる可能性があるとみる。「本物の歴史が残る土地だからこそ、訪れる人のロマンをかき立てる」という。
(2008/03/28)

(18)仏教文化発信拠点に 徳一の精神を再評価

幾多の栄枯盛衰を経て明治維新の廃仏棄釈により廃寺となった慧日寺。その後、寺号を恵日寺として大正二年に再興された。伊藤泰雄住職は、町が復元した金堂が会津仏教文化の発信拠点となることを願っている。
(2008/03/27)

(17)徳一検証の契機に 仏教界全体にも意義

 興福寺と並ぶ法相宗の大本山、奈良の薬師寺。その薬師寺で平成十年から十五年にかけて管主を務めた松久保秀胤長老は、慧日寺を興した徳一の功績をあらためて評価するきっかけにしてほしいと期待を込めた。
(2008/03/26)

(16)徳一の息吹実感を 会津仏教の力再認識

 史跡調査開始から四十年以上にわたり連綿と続いた復元への熱意が結実し、ついに完成の時を迎える慧日寺金堂。仏教界などから大きな注目を集めている。若き日の徳一が修行に励んだ奈良、興福寺のトップである多川俊映貫首が復元事業の意義などを語った。
(2008/03/25)
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