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死刑制度は必要か(12月4日)

 今年の10月、日本弁護士連合会(日弁連)が開いた大会で、日本の死刑制度を廃止すべきとの宣言を採択した。これは私にとって大きな驚きだった。全国のもろもろの見解を有する弁護士がいる団体が国家の刑事司法制度の根幹の一つである「死刑」の罰則をなくすべきだと言うには、それなりの議論と会員の考え方を、時間をかけて聴取し結論を出すべきだからだ。さらに驚いたことには、この大会に作家の瀬戸内寂聴さんからビデオメッセージが寄せられたが、その内容は死刑廃止に賛意を表し、「殺したがる馬鹿どもと戦ってください」などというものだった。この発言は後に謝罪がなされたが、犯罪被害者団体からは、強い反発の声が上がった。
 そもそも死刑制度を存置すべきか廃止すべきかという問題は古くて新しい問題である。死刑が規定されている罪名は、殺人、強盗殺人、現住建造物放火等「人の死を伴う犯罪類型」が中心であるが、犯人を死刑にしてほしいと思う遺族等の感情は十分に理解できる。それでは、なぜ死刑は廃止すべきだという考え方が根強いのか。それは、死刑は国家による殺人だという見方の他に、死刑執行後に冤罪[えんざい]と判明した場合には取り返しがつかないという理由からだ。
 刑罰の本質は、犯罪を行ったことに対する「応報刑」と、犯罪者を更正させるための「教育刑」という考え方の二大潮流がある。私は、刑罰の本質は、ハムラビ法典の「目には目を」の応報思想を基本に、犯人の更正、教育の思想を加味したものだと考えている。そもそも、個人から報復する権利(あだ討ち)を取り上げ代わって国家がこれを実行してくれるというのが刑罰権の始まりなのだ。犯人に生ぬるい刑罰しか与えないようでは、個人的に報復する人が出てくるのを止められまい。
 私は、長年検察官として凶悪犯罪を捜査、訴追する側から見てきた。たとえば、12人もの人々の命を奪い、何千人もの人々に傷害を負わせ、日本国中を恐怖に陥れたオウム真理教幹部らによる地下鉄サリン事件等について、その遺族らの心情を思うとき軽々に死刑廃止などと口にできるものではない。
 確かに、人間が裁くものである以上、誤判による冤罪が絶対になくなるとは言えないかもしれない。しかし、日本の刑事司法制度は、冤罪防止のため三審制にし、再審制度も設け、自白の強要も禁じている。近時、重罪事件について取り調べの可視化も取り入れられることになった。凶悪重大犯罪に対して、死刑以外の刑罰の選択が考えられない場合には犯人に死刑を科すこともやむを得ないと考える。ちなみに、過去の世論調査を見ても、日本国民の約8割は死刑制度を容認していることを忘れてはならない。
 死刑判決を受けた人も、その処刑前には澄んだ心になる人も多いと聞く。しかし、この問題は情緒的に捉えてはならない。正義に資する制度はなにかを冷静に見極めることが必要なのだ。(宗像紀夫、内閣官房参与・弁護士、三春町出身)

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