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風土に根ざして、内発的に(4月9日)

 帰還をめぐって、さまざまな思いや情景が交錯する。胸が締め付けられるような気分から逃れることができない。戻る人にも、戻らない人にも、ともに事情があり思いがあり、その、いかなる選択も尊重されねばならない。そう、何度でも、確認しておきたい。人々はみな、苦渋の選択を強いられたのだ。それぞれの生きる場所を求めての戦いは、これからも続く。いばらの道だ。
 分断と対立を煽[あお]るのはやめよう。福島県民はだれもが、東京電力福島第一原発の爆発事故の被害者である。故郷を奪われたという現実は変わらない。その災禍はあまりに巨大にすぎて、個人が自己責任で背負うことなどできようはずがない。最終的な責任は、原発を国策として推進してきた国家と東京電力が負うべきものである。だれが否定できるか。それだけが起点に置かれるべき現実である。
 それでは、いま、何をなすべきか。遠回りのようだが、わたしは最近、半谷清寿[はんがいせいじゅ]の『将来の東北』という本をくりかえし読みなおしている。南相馬市の小高出身。忘れられた実践の思想家だ。明治の終わりに、半谷は東北が100年かけて進むべき道を独力で示そうとした。3・11以後の福島にとって、この本はかぎりない示唆と励ましに満ちている。
 半谷は稲作を中心とする農業に呪縛されてきた「東北の業」からの脱却をめざした。そして、「ウルトラ勤倹貯蓄型の純農一本農政」(高橋富雄)といえそうな、相馬藩の「報徳仕法」を退けた。それはたしかに、幕末の相馬藩にすばらしい復興をもたらしたが、明治以降の殖産興業の時代の中では近代化に向けてのマイナス要因となった。若き半谷は小高で酒造業を始め、織物会社をつくり、富岡町の夜ノ森の開拓に取り組んだ。相馬の伝統を断ち切ることで、「資本主義の精神」を地域に生かそうとした実践の人であったのだ。
 『将来の東北』に示された東北復興のシナリオは、世界の中で日本を、東北を、福島を考えるという巨視的な構想に裏打ちされていた。いまから100年あまりの昔に、南東北の海辺に面した小高という町から、そんな大きな思想が誕生したことは、ほとんど奇跡であった。東日本大震災においても、「東北の復興なくして、日本の再生はない」といった政治家たちの言葉遊びは見られたが、『将来の東北』のように雄大な構想が提示されることはなかった。半谷はまた、関東大震災のあとに東北遷都論を提言している。
 薩長の藩閥政府は、戊辰戦争後の荒廃する東北を、東京へと米を供給するための穀倉地帯に留めおくことで、遺棄したといっていい。東北の稲作は風土に抗[あらが]うかたちで、外から導入された、と半谷は考えた。東北はその風土に根ざして、内発的な発展の道をたどらねばならない。東京に身を委ねるのではなく、地域の人々の協同の力によって、身の丈で、運命を切り拓[ひら]くことだ。次代に受け渡すべき故郷の姿を、半谷にならって内側から思い描かねばならない。(赤坂憲雄、県立博物館長)

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