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【檜枝岐村の古文書】労苦と英知を読み解く(5月12日)

 標高2000メートルを超す険しい山々と、深い谷が檜枝岐村の独特の風景を織り成す。南西部の尾瀬に入るには峠や登山口で車を降り、木道をたどる。村外の人々は、山あいの行き止まりの村という印象を抱きやすい。だが、地元の古文書は人、物、情報が行き交った往時を浮かび上がらせる。
 村は今年、村政独立100周年を迎えた。尾瀬国立公園は日光国立公園から独立して、10周年に当たる。一つの村の歴史を振り返るだけでは先人の労苦や英知を生かし切れない。各地の山村地域が県土や日本の発展に果たす役割を再確認し、東日本大震災の復興の手掛かりを探るべきだ。
 福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)内にある県歴史資料館には、江戸時代から大正時代にかけての檜枝岐村文書1600点余りが寄託され、一部が7月30日まで展示されている。関所の役目を担った口留番所[くちどめばんしょ]で監視した品物、特産の木工品の生産と流通、幕末の不穏な政治情勢の広がりなどを知ることができる。
 かつて、会津と上州(群馬)を結ぶ交易の道は尾瀬沼の周辺を通った。会津側からは沼田街道、上州側からは会津街道と呼ばれた。沼の近くの湿原には戊辰戦争の土塁跡がある。村は会津藩の防御拠点の一つだったとみられる。
 村の歩みや魅力を紹介する企画も9月24日まで村内の山旅案内所で開かれている。尾瀬周辺を源とする只見川流域の豊富な水は戦後復興の国家的事業である水力発電に使われ、その電気は今も国民の暮らしや経済を支える。
 12日に上演される伝統の歌舞伎は、伊勢参りに出掛けた村人が旅先で見た歌舞伎を代々受け継いだという説がある。村は他の地域から孤立していたのではなく、交易や行き来によって特色のある産業や文化を育んだり、歴史の舞台になったりしたといえる。
 尾瀬国立公園の昨シーズンの入山者数は約29万1000人で、平成元年以降で最少だった大震災の23年に次いで少ない。多くの村民は旅館、民宿、山小屋などの観光に携わる。入山者や観光客の動向は村の将来を左右する。8月に開設予定の道の駅などを活用し、尾瀬や村の新しいファンを増やしてほしい。
 尾瀬は日本の自然保護運動の原点として注目されてきた。村と村民は入山者や観光客の受け入れと並び、水や景観、動植物を大切にする取り組みを長年にわたり続けている。山村地域の現状と努力を的確に評価し、住民の暮らしも自然も維持できる政策の充実が重要だ。(安田信二)

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