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石牟礼道子を読むことから(6月11日)

 わたしはじつは、「水俣」と聞いただけで、条件反射のように身構え、奇妙な疚[やま]しさを感じ、無力感に襲われる。だから、ずっと水俣を避けてきた。わたしばかりではない。なぜ、民俗学者たちは揃[そろ]いも揃って、水俣に関わろうとしなかったのか。
 谷川健一さんは、疑いもなく優れた民俗学者であったが、ほかならぬ水俣の出身である。その谷川さんに、なぜ水俣についての学術調査に参加されなかったのか、問いかけたことがあった。たしかな応答はなかった。なにか、言葉にはしがたい、深く屈折する思いを抱えておられるのだ、と感じた。
 思えば、水俣に真っすぐに関わることを避けてきた民俗学者たちに批判的な眼差[まなざ]しを向けながら、自分自身がそうした民俗学者の1人であることに気づかずにいた。恥ずかしいことだ。わたしには谷川さんに問いかける資格そのものが、はじめからなかったのだ。
 それにしても、いくらか唐突に思う。谷川さんにはもしかすると、石牟礼道子さんの『苦海浄土』にたいする対抗意識があったのかもしれない、と。なにしろ、石牟礼さんのいくつかの作品は、まさしくこの地方の生き生きとした民俗誌の記録になっている。調査のような形で入った民俗学者にできる仕事では、到底ない。それは間違いなく、そこで生まれ育ち、なおかつ稀有[けう]なる文才をもった者にしか描くことができない、生きられた民俗誌であった。谷川さんはきっと、石牟礼道子という存在に畏怖[いふ]や嫉妬を覚えていたはずだ。
 民俗学は社会的な事件に関わることを避けて、あくまで日常の、ケの民俗誌を大切にしてきたのだ、と語られる。むろん無惨[むざん]な言い訳にすぎない。水俣病であれ、戦乱であれ、石牟礼さんはくりかえし、その出来事を描くと同時に、それが起こる以前の地域共同体の幸福を描こうとしてきた。それがみごとな民俗誌のように見える。
 この2月、そんなわたしがはじめて水俣を訪ねた。無知をさらすばかりの苦しい旅となった。水俣と福島のあいだに横たわるものに、眼を凝らさずにはいられなかった。たとえば、水俣で汚されたのはチッソの工場がある河口であり、源流はどこまでも清らかだった。福島の源流の森は立ち入ることすら忌避される、いわば汚れた野生の王国だ。そこに断絶がある。
 気づかされることの多い旅であった。そのひとつは、水俣病の60年、70年の歴史からすれば、福島はまだ始まったばかりだ、ということだ。なにひとつ、確実なことは存在しない。たとえば、それははたして風評被害なのか、実害なのか。どちらであれ、確信ありげに断言してみせる人たちを、わたしは信じることができない。わたしたちにできることはただ、起こっていることに謙虚に向かい合うことだ、と幾度でも思う。
 石牟礼さんのいう「のたうちはいずり回る幾万の夜」を越えて、ようやく「もやい直し」のような何かが、この福島でも始まるにちがいない。無力さに打ちのめされながら、呟[つぶや]くように思う。(赤坂憲雄 県立博物館長)

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