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27日、半世紀ぶりに光 安積開拓構想の地 出磬山(郡山)

 明治時代初期に安積開拓の構想が練られた場所とされる郡山市の「出磬山(でけいやま)」に27日、約半世紀ぶりに市民が足を踏み入れる。同山は自衛隊の訓練場で、一般の立ち入りが禁止されている。長年、調査を望んできた地元の「片平歴史の会」が熱望し、許可を得た。安積開拓や安積疏水開削事業に関する一連の物語が日本遺産に認定されて2年。同会は「安積開拓の原点」に再び光を当てたい考えだ。
 出磬山は市中心部から車で15分ほど離れた市内片平町にあり、標高は293メートル。山の麓との高低差は約30メートルで、山頂からは安積平野を一望できる。
 「安積開拓の父」と称される中條政恒は1872(明治5)年、県令の安場保和(やすば・やすかず)と山頂に登って開拓の計画を練り、第一歩と言われる大槻原(現在の郡山市開成地区)の開墾事業を決断したとされる。この事業の成功もあり、明治政府が1878年から始まった国営安積開墾事業へとつながった。市内の開成山大神宮の拝殿には、中條が山頂から大槻原を見下ろす姿を描いた扁額(へんがく)が今も飾られている。
 その後、1941(昭和16)年に陸軍部隊が設置され、出磬山一帯は射撃演習場となった。現在は陸上自衛隊郡山駐屯地高森訓練場となっており、周囲には柵が設けられて一般の立ち入りはできない。
 片平歴史の会はこれまでも長年にわたり、市などを通じて「安積開拓の原点」である山の開放と山頂の調査実施などを市などに要望してきたがかなわなかった。今回は同駐屯地に安積開拓の歴史や出磬山の歴史的価値を書いた陳情書を初めて提出。駐屯地側は隊員の同行を条件に調査見学を認めた。駐屯地によると、一般住民の立ち入りを許可したのは約50年ぶりという。
 山頂には、1901(明治34)年に地域住民らが建立し、中條と山との関係が記された「出磬山碑」などの遺構が残る。同会はコケなどが生え、記されている文字が見えにくくなっているなど、貴重な資料の劣化を懸念している。当日は会員や地元住民、行政関係者ら約30人が山頂に向かい、保存状況を確認するとともに、清掃などの手入れをする予定だ。
 関係者以外は調査に参加できない。
 調査結果は冊子にまとめて記録として残す。さらに発表会を催し、市民に先人の偉業を改めて周知していく。
 河治信和会長(68)は「貴重な機会であり、現状をつぶさに調査して地域の宝を伝え残していきたい」と話している。

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開成山大神宮の拝殿に奉納されている中條政恒の扁額。遠くに安達太良山を望み、眼下に大槻原を見下ろす
開成山大神宮の拝殿に奉納されている中條政恒の扁額。遠くに安達太良山を望み、眼下に大槻原を見下ろす
山頂にある「出磬山碑」の拓本写しを見つめる河治会長
山頂にある「出磬山碑」の拓本写しを見つめる河治会長

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