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決意の脱藩 戦場へ 戊辰150年 第三章~信義貫いて~(37)

 のどかな田園風景が広がる西郷村東部の羽太地区-。曹洞宗の禅寺、大龍寺そばの小高い丘に白河口の戦いで命を落とした幕末の剣豪、森要蔵の墓が静かに立つ。「『墓をしっかりと守るように』と代々言い伝えられています」。大龍寺二十三代目の内藤信光住職(68)は掃き清められた墓地で語る。
 要蔵は現在の千葉県富津市にあった飯野藩で剣術指南役を務めていた時、腕の立つ息子の虎尾らと戊辰戦争に参戦した。会津藩救援のためだった。白河口の戦いで勇猛果敢に戦ったが、銃弾に倒れたと伝わる。

◆会津藩救援

 江戸で北辰一刀流の腕を磨いた。北辰一刀流の創始者・千葉周作の門下で「千葉道場の四天王」とうたわれた。森は自ら道場を開き、名声と人望も相まって門弟は千人を超えた。
 要蔵を突き動かしたのは武士としての義の心だった。飯野藩の保科家と会津松平家は縁戚関係にあった。戊辰戦争が始まると、会津藩は西軍(新政府軍)に苦戦を強いられる。飯野藩は西軍に恭順を示すか、抗戦するか意見が割れた。義を貫くべきだ-。仕官した藩に迷惑を掛けまいと決意を固めて脱藩し、戦場に向かった。
 最期を迎えたのが羽太地区だった。現在の西郷村を拠点にしながら、会津方面に陣を進めようとする土佐藩に立ち向かう。少人数の部隊編成だったという。享年五十九歳。運命を共にした虎尾は弱冠十六歳だった。二人の遺体は門弟だった西軍側の藩士の手で埋葬された。

◆最後の武士

 経緯は明らかでないが、大龍寺の十九代住職の真田信量は要蔵と会い、人柄に魅せられた。「一本気な武士の生きざまにきっと心を打たれたのでしょう。その気持ちは今なお、この地に息づいています」。内藤住職は語る。
 大龍寺は現在も秋の彼岸に法要を執り行っている。百五十年の節目に当たる今年は、墓地の改修に合わせ富津市の関係者も招いて六月末に慰霊法要を行った。前西郷村商工会長で法要開催を呼び掛けた大高紀元さん(71)は「要蔵は最後の武士と言える。義を貫いた高潔の武士が、この地で戦ったことをより多くの人に知ってもらいたい。今後も折に触れて顕彰活動に取り組んでいく」と思いを示した。

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森要蔵の墓を丁寧に清める内藤住職。代々慰霊が続いている
森要蔵の墓を丁寧に清める内藤住職。代々慰霊が続いている

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