あぶくま抄・論説

あぶくま抄

  • Check

木簡発見から10年(8月25日)

 <安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに>。「安積香山」とも記される。郡山市ゆかりとされ、市民は「安積山」で親しむ。「安積山の歌」として万葉集の歌に収まる。滋賀県の宮町遺跡で出土した木簡にも残されていた。十年前になる。
 遺跡は聖武[しょうむ]天皇が造営した紫香楽宮[しがらきのみや]跡とされる。木簡の裏には「難波津[なにわづ]の歌」も書かれていた。二つの歌は古今和歌集の仮名序で「歌の父母」といわれる。編さん前から手本とされていた証しだった。郡山市の有志は十月、発見者である大阪市立大名誉教授の栄原永遠男[さかえはらとわお]さんを招いて講演会を開く。木簡の複製も作り、参加者に配る。
 「心臓のところでドキンと音がした」。栄原さんは、見つけた瞬間の興奮を著書「万葉歌木簡を追う」(和泉書院)で振り返る。当時、郡山文化協会の役員が現地に赴いたり、郡山うねめまつりに合わせて講演会を開いたりと、地元も沸いた。史料の意義をもう一度かみしめれば感動がよみがえる。
 歌を詠んだのは采女[うねめ]として都に出ていた風流な娘子とされている。どんな人物だったのか。想像を巡らせるのもいい。物言わぬ木簡は、いにしえから続く悠久の世界へといざなう。

カテゴリー:あぶくま抄

あぶくま抄

>>一覧