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不安に怯えるカナリアよ(8月26日)

 震災以後、わたしは数字というものに懐疑的になった。数字はなにやら、権威の鎧[よろい]をまといながら、こっそりウソをつくものであることを知った。数字をもとに熱く語る人々、それを「科学的」と称する人々にたいして、拭いがたい不信がある。数字にはいつだって、色がついている。みずからを利する数字を選ぶことも、ときには数字を操作することもできる。
 とりわけ不安は数量化できない。ゼロでなければ安全ではないと、不安に苦しんでいる人がいる。それを嘲笑的に追いつめる人たちがいる。「科学」の名のもとに。ならば、思いだしてほしい。震災のあとに、涙ながらに、「この数値を子供たちに求めることは、学問上からもヒューマニズムからも受け入れがたい」という言葉を残して、内閣官房参与を辞任した放射線安全学の専門家のことを。年間二〇ミリシーベルトという数字であった。
 原発事故によって緊急避難的に選ばざるをなかった数字がいまも、そこにある。それは安全なのか、安心なのか。「科学」はそれに、真っすぐに応答しているか。ゼロはありえないが、それではあらためて、どの数字が安全であり、安心を担保してくれるのか。「科学」を掲げる錦の御旗は、何本もある。
 たった一行の言葉で表現できるようなメッセージのために、作品を制作する作家など、いない。言葉では言い表しがたいものが、ごった煮のように託され、詰め込まれて、ようやく現代アートの作品は立ち上がる。
 ヤノベケンジさんのサン・チャイルドが、胸元の「000」という数字を起点にして、批判を浴びているらしい。この作品は、二〇一二年に福島空港で展示され、好評を博した。その後もさまざまに話題になることは多かった。そうした前史があって、いわば時が熟して福島へと迎えられた、そのはずであった。そもそも、サン・チャイルドのミニチュア人形にも、ギャラリー・オフグリッドが寄贈を受けた十分の一の模型にも、胸元に「000」という数字はない。その数字が「科学的」ではないと、学者まで登場して批判しているのを見て、あれあれ、と思った。
 それならば、その数字が「023」や「064」や、いっそ「999」であればよかったのか。むしろ、それは曖昧に、揺らぎの中に放置しておいた方が、サン・チャイルドにとっては本意ではなかったか。それはけっして、「000」にならねば安全ではない、といった単純なメッセージのために制作された作品ではない。
 あらゆる数字を揺らぎの中に投げ返し、ひとつの未来への問いとして提示すること。現代アートは問いを顕[あら]わすのであり、メッセージを押し付けるのではない。アートに「正義」を背負わせてはならない。たかがアート、されどアート。アートはいつだって、不安に怯[おび]えるカナリアである。だから、声なき声が思いがけぬ形ですくい取られ、記憶の中に留められる。
 ゆるやかに、アートと公共と復興をめぐって、開かれた議論の場を作っていきたいと願う。(赤坂憲雄、県立博物館長)

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