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スマホから離れ本を読もう(11月4日)

 若者の活字離れがひどくなっていると聞く。つまり、新聞や、雑誌などを始めとして、単行本、日本や世界の文学全集なども読む人が大幅に減っているのだという。我々は、歴史や文学についてのみならず、哲学、科学、経済等のあらゆる分野において、先人の思想や研究の成果を書物を通して享受しているわけであるが、本を読まないということは、活字を通してじっくりと、その思想等が受け継がれていかないということを意味する。
 若者たちの多くがスマホを持ち、電車の中であれ、歩行中の横断歩道上であれ、その画面から目を離そうとはしない。ちなみに、そんなに急いで、忙しく処理しなければいけないことがあるのかと彼らのスマホをのぞき込んでみると、その多くは、ゲームだったり、飲食店情報だったり、趣味の世界のものばかりだ。それに熱中するあまり、他人や、まわりの動きに目もくれないのだ。電車の優先シートに座り、目の前に高齢者が立っていようが、妊婦さんがいようが無関心だ。いつからこんな社会になってしまったのかと嘆かずにはいられない。これでは本を静かに読む環境ではないだろう。
 私事にわたるが、私は子供の頃からとにかく本が好きだった。家にあった日本や世界の文学全集などは、内容は十分に理解出来ないものが多かったが、とにかく読んだ。中学時代には、ほとんどの有名作家の名前とその代表作品は筋書きも含めて、そらんじて言えたものだった。現在、老境の域に入ってきて、少し暇ができたので、以前よりも頻繁に読書の機会を増やしている。毎週二回ほどは書店巡りをして新刊本を購入し、二週間に一度は近所の公立図書館に赴き、ジャンルを問わず十冊程を借り出し、気に入った本から読み出す。これが無上の喜びであり、何物にも代えがたい。
 ちなみに、今日現在手元に借りている本は、例えば、「まっすぐな生き方」(木村耕一)、「神なき国ニッポン」(上田篤)、「金融政策の死」(野口悠紀雄)、「昭和の事件に触れた」(吉永春子)など多岐にわたっている。人は自分だけでは、体験的に学ぶことには限界がある。やはり、先人の知識や教養を書物を通して受け入れることが不可欠だ。
 鎌倉時代に吉田兼好によって書かれたとされる「徒然草」の第十三段には、「ひとり、燈[ともしび]のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰[なぐさ]むわざなる」と読書の楽しみについて述べている。また、江戸末期の歌人橘曙覧[あけみ]も「楽しみは珍しき書[ふみ]人にかり始めひとひらひろげたる時」と詠んでいる。読書ははるか昔の人々の心に触れる意義深い、価値のあることなのだと昔の人たちも看破しているのだ。若者はスマホから少し離れて本を読む時間を持つことが必要なのではないか。
 (宗像紀夫 内閣官房参与・弁護士、三春町出身)

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