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会津と熊本(11月20日)

 戊辰戦争から十年近くがたっていた。一八七七(明治十)年、西南戦争で勢いづく薩摩軍を抑えるため、政府軍は警察官で編成する警視隊を戦地に向かわせた。最大の激戦地となった熊本の田原坂[たばるざか]で、隊員から剣術の達人百人を募った。多くの本県出身者が志願した。猛者の集団は「抜刀隊」と名付けられ、前線に立った。
 「会津と熊本」と題した企画展が、熊本市の田原坂西南戦争資料館で来年一月三十日まで開かれている。戊辰、西南の二つの戦いのつながりに焦点を当てる。興味深い資料が並ぶ。熊本県内に埋葬された警視隊の本県出身者は四十六人に上った。都道府県別で、鹿児島の八十人、東京の六十三人に次いで多い。
 後に首相となる犬養毅が従軍記者として同行した。記事に、抜刀隊の元会津藩士が「戊辰の復讐[ふくしゅう]」と叫び、傷を負いながらも奮戦したと伝えた。賊軍の汚名を着せられていた元藩士は、宿敵である薩摩の兵士と向き合い、果敢に攻め込んだ。
 白河、会津若松、二本松、いわきなど悲劇の舞台が県内各地に残る。千キロも離れた熊本で多くの県人が壮絶な死を遂げた。憎しみを生む戦争を繰り返さないため、歴史を語り継ぐ務めがある。

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