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山本五十六と真珠湾(12月8日)

 旧日本海軍の航空機が米軍艦隊を次々に攻撃した。日本時間の一九四一(昭和十六)年十二月八日。ハワイ真珠湾は炎と黒煙に包まれた。戦火は太平洋に広がった。
 指揮を執ったのは連合艦隊司令長官の山本五十六だった。元々、米英との戦争に反対し、短期決戦と早期講和を目指した。だが、長引く。一九三七年七月の日中戦争開始から一九四五年八月の終戦まで、日本の戦没者は民間人も含めて約三百十万人を数える。
 さまざまな言葉を残した。「男の修業」は苦難や不満があってもこらえよ、と諭す。座右の銘とする人は多い。「人間は淋[さみ]しみを味わえる様にならぬと駄目だね」。会津若松市出身の礼子夫人を慕った。大正末期から昭和初めまで一人で渡米し、大使館付武官を務めた。その発言に米国の女性は「真の紳士」と感心した(稲川明雄著「山本五十六のことば」)。
 軍人としての評価は分かれる。言葉に込められた思いは今でも生かせる。山本は一九四三年四月、搭乗機が撃ち落とされ戦死した。真珠湾には現在も米戦艦が沈む。千人ほどの乗員が犠牲となった。漏れ出す燃料は「アリゾナの涙」と呼ばれる。戦争の悲惨さを改めてかみしめる。

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