二十一世紀に入り、電力を取り巻く環境が大きく変化しようとしている。原子力発電では、プルサーマル計画という核燃料の再利用システムが当初目標より大幅にずれ込み、スタートのめどすら立っていない。国策とされる再利用システムが立ち往生している背景には、現在の態勢に対する不信感とともにエネルギー政策に、より積極的にかかわろうとする立地県の意識の高まりがある。国民生活の基盤となるエネルギー政策の揺れを立地県から問い直す。

 

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原発は「空気」だったが・・・

よぎる不安、意識も変化

(1月17日(木)掲載)

 大熊、双葉の両町にまたがる六基の東京電力第一原子力発電所と太平洋の大海原を望む展望台。平成十一年九月、プルサーマル用核燃料(MOX燃料)を積んだ輸送船が到着した際には国内外のメディアで騒然とした小高い公園で、四人の子供を遊ばせる母親の姿があった。
 山田今日子さん(仮名)は今年、三十一歳を迎える。大熊町で福島第一原発1号機が運転を開始し、本県の原子力発電の歴史がスタートした昭和四十六年、その原発のまちに生まれた。
      
 農業を営んでいた家庭でも、学校でも、原発が話題に上ることはあまりなかった。存在を意識したことも特にない。中学生時代に遠足で他県に出掛けたとき、「あなたの町の名物は何ですか」と聞かれ、「原発です」と無意識に答えていた。
 原発はずっと空気のような存在だった。自分と“同じ年”の原発が古里にいかに潤いをもたらせたか、社会人になって初めて気がついた。よそにはない立派な公共施設がそれを物語っていた。結婚相手も、その父親も原発関連企業の従事者。双葉郡では普通の嫁入りだった。
 「真水にちょっとだけ墨滴を垂らしたような、そんなぼんやりとした不安」。身近だったはずの原発に山田さんが違和感を感じるようになったのは子供を出産してから。茨城県東海村の臨界事故をはじめ、国内で相次いだ原発のトラブルのニュースの向こう側に、子供たちの顔が浮かんだ。
      
 山田さんの家には毎年、春先に東電社員があいさつ回りでやってくる。「何かご意見、ご要望はございますか」と尋ねられる。何か聞いてみたいが、笑顔の社員を前に、とっさに言葉が出ない自分を感じた。
 そんなとき、佐藤知事がプルサーマル計画に「待った」を掛けていると知った。県の幹部らによる専門的なエネルギー政策検討会を開いているとも聞いた。「これからも子供たちが生きていく古里なのだから、母親として原子力についてもっと考えなければ」と思うようになった。検討会で何が話し合われているのか、地元住民に分かりやすい形で情報を提供してほしいと願う。
 プルサーマル計画の凍結は山田さんら一般住民の意識を変えようとしている。山田さんは今、「生まれ育ったころにはなかった別の雰囲気が原発のまちに漂い始めている」と実感している。

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