二十一世紀に入り、電力を取り巻く環境が大きく変化しようとしている。原子力発電では、プルサーマル計画という核燃料の再利用システムが当初目標より大幅にずれ込み、スタートのめどすら立っていない。国策とされる再利用システムが立ち往生している背景には、現在の態勢に対する不信感とともにエネルギー政策に、より積極的にかかわろうとする立地県の意識の高まりがある。国民生活の基盤となるエネルギー政策の揺れを立地県から問い直す。

 

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再循環ポンプ事故−絶対安全の自負裏目

県のチェック能力に限界

(4月23日(火)掲載)

 時代が昭和から平成に移る直前の昭和六十四年の元日。東京電力福島第二原子力発電所3号機(富岡町)の中央操作室に警報が鳴り響いた。
 発信元は原子炉の水の流れを調整している再循環ポンプ。その振動が通常より大きくなっていた。間もなく揺れは収まり、東電は運転を継続した。「その選択が誤りだったことを後に痛いほど知らされた」と、当時の東電関係者は今も悔やむ。
 五日後、振動は再び拡大し、原子炉は手動停止に追い込まれた。調査の結果、再循環ポンプの羽根車などが壊れ、砕け散った金属の破片や粉が、核燃料の入っている原子炉に流れ込んでいた。昭和四十年代に本県で原発が運転を開始して以来、最も大きいといわれたトラブルだった。
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 「東電の技術者には、絶対安全という自負が強かった。その気持ちが対応を後手、後手に回らせた一因ではないか」。当時の県原子力安全対策室長の村上貞夫氏(現小名浜石油埠頭社長)は振り返る。
 東電はトラブル直後から「砕け散った金属片が原子炉内に流入することはない」と繰り返した。だが、原子炉などで見つかった金属の破片や粉は約三十キロ。原発に対する県民の信頼は一気に色あせた。
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 国は原発の立地から建設、運転、管理までの許認可を一手に握る。県や立地町にできることは、電力会社と結んでいる安全協定による立ち入り調査などに限られている。大きなトラブルが起きても、原発の運転停止などを求める強い権限は与えられていない。
 再循環ポンプ事故などをきっかけに安全協定は数回にわたって改正され、県や立地町が関与できる範囲を広げた。平成十一年、プルサーマル用燃料の輸送などに県や町の担当者が立ち会ったのも、その成果の一つだ。
 県も体制を強化した。環境保全課の一つの部署だった原子力安全対策室を独立の原子力安全対策課とし、スタッフを六人から十人に増やした。
 それでも、初代課長を務めた山口忠宏氏(前県商工労働部長)は国や電力会社の厚い壁に悩んだ。「県側の専門的な知識はまだ十分ではなかった。原発の設置から運転管理までを事前にチェックできるぐらいの能力を持たなければ…」と唱え続けた。
 「かゆい足を革靴の上からかいているようだ」。問題が起きるたびに、県幹部は「隔靴掻痒(かっかそうよう)」の文字を思い浮かべる。国の原子力行政に間接的にしか、かかわることのできない歯がゆさがにじむ。

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