二十一世紀に入り、電力を取り巻く環境が大きく変化しようとしている。原子力発電では、プルサーマル計画という核燃料の再利用システムが当初目標より大幅にずれ込み、スタートのめどすら立っていない。国策とされる再利用システムが立ち往生している背景には、現在の態勢に対する不信感とともにエネルギー政策に、より積極的にかかわろうとする立地県の意識の高まりがある。国民生活の基盤となるエネルギー政策の揺れを立地県から問い直す。

 

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広野火発増設延期町の財政を直撃

税収見込めず事業見直し

(4月30日(火)掲載)

 昨年十二月に広野町長に就任した小松真氏にとって初めて手掛けた十四年度の当初予算づくりは苦悩の連続だった。「断腸の思いだ」。編成作業を終え、つぶやいた。
 仕上がった一般会計の総額は約三十四億円。前年度比で約六億円、率にして約15%下回る。懸案事業の経費を切り詰め、特別職の給料カットなど人件費にも手を付けた。
 緊縮財政を強いられた引き金は東京電力広野火力発電所の増設の遅れだった。増設施設の完成がずれ込み、十五年度から町に入るはずだった固定資産税十数億円の収入が当分、見込めなくなった。
 税収増を裏付けに各種の事業を盛り込んだ町の長期振興計画は大幅な見直しを迫られた。町活性化の柱の一つである百六十区画の住宅団地整備も含まれていた。
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 「広野火力発電所の増設工事が遅れ気味。凍結されるのではないか」。一昨年の暮れ、こんなうわさが町内に出回り始めた。
 町長の大和田清人氏(故人)は「そんなことは許されるわけがない。増設時期がずれたら、町の事業がだめになる」と語気を強めた。「おやじが心血注いで誘致した発電所だ。東電を信じる」。町長室に掲げられた元町長で父の清之助氏の写真を見つめた。
 大和田氏は東電に何度も念を押した。だが、約二カ月後、うわさは現実となった。東電は火力、原子力などすべての発電所の新増設計画を凍結する方針を発表した。広野火発5号機は凍結こそ免れたが、運転開始は予定より二年後に繰り延べされた。
 「政治生命をかける」と凍結回避に奔走した大和田氏は運転開始に立ち会うことなく、昨年十一月、病気で他界した。
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 広野火発5、6号機の増設は十一年八月、総理大臣の諮問機関「電源開発調整審議会」(当時)で、国の電源開発の基本計画に組み入れられた。建設するのは東電だが、町は今も国策と受け止めている。
 大和田氏の後を継いだ小松氏は「民間企業の電力会社は経営状況を見ながら設備投資を考えざるを得ない面はある。しかし、国は計画に盛り込んだ以上、責任を持って電力会社を後押しすべきだ」と不満を抱く。
 だが、資源エネルギー庁電力基盤整備課の担当者は「わが国の電力の需給バランスが崩れない限り、個別の発電所増設が二年遅れても問題はない」と素っ気ない。

©福島民報社2002


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