ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行

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仏都の風今に伝え 慧日寺 磐梯町

復元された慧日寺金堂を歩く黛さん

 風青ければ風鐸の鳴りやまず
 
 初夏の会津は青嵐と呼ぶにふさわしい強風が吹いていた。白波が立つ猪苗代湖の向こうに聳[そび]えているはずの磐梯山は、半身を薄暗い雲に覆われている。「山では雪が降っているかもしれませんね」と案内の方。平安初期の高僧徳一が開いた法相宗慧日寺を磐梯町に訪ねた。

 若き学僧の徳一が都を離れた理由には、東北での布教が目的だったとする説や、腐敗した都での仏教に見切りをつけ修行に専念するためだったという説など諸説ある。徳一には、かの最澄と大論争を闘わしたり、空海に真言宗への疑問を直接ぶつけたりする激しさがあったので、いずれの説も納得できる。或[ある]いはこの頃起きた磐梯山の大噴火も関係があるのかもしれない。

 東に下った徳一はまず筑波山で中禅寺を開き、その後会津に移り慧日寺や勝常寺を創建した。慧日寺は磐梯山、厩岳山、吾妻山と山岳信仰の盛んな山に囲まれ、足元には天鏡湖の異名を持つ猪苗代が控えている。霊山で厳しい行に励み、折々に湖面に心を映し見る。修行をするのにこれ以上の地はなかったのではないだろうか。最盛期の平安末期には寺領18万石、寺僧300人がいたと伝えられる(「新編会津風土記」)。ところが幾度かの火災や伊達政宗の会津侵攻によって寺は衰退。明治の廃仏毀釈によりついに廃寺となってしまう。

 しかし昭和45(1970)年、国史跡の指定を受けたことをきっかけに、磐梯町では町を挙げて慧日寺金堂の復元に向けて動き出した。創建当時の資料がない中での困難な調査が始まった。中心的な伽藍[がらん]の礎石の上に建つ磐梯神社を移築し、粘り強く調査や考証を重ねた。そして平成20(2008)年、ついに創建当時の金堂が復元されたのだった。
 
 湖憩ふ鳥引きし空映しつつ
 
 かつての参道を思わせる真っ直ぐに伸びた緩やかな坂道を上っていくと、忽然[こつぜん]と朱赤の金堂が現れた。目を引くのは「とち葺き」と呼ばれる赤杉の板を使った寄棟造の屋根だ。史跡から一枚の瓦も出てこなかったことから、この地方で入手できる材料を考慮して造られたという。

 金堂内部の柱や床は檜[ひのき]で、槍鉋[やりがんな]という古代の鉋を使って仕上げられた。確固たる手掛かりがない中、建立年代や地域性等を考証して、パズルを解くように緻密に復元されていったことがそこここに窺[うかが]える。軒に吊るされた風鐸が折からの強風で激しく鳴っている。徳一もこの音色を聞いて日々を過ごしたのだろうか。会津を仏都として拓き、修行と布教に生涯をかけた徳一と、慧日寺の復元に情熱を注いだ地元の人々が、風鐸の音色に重なった。

■季語解説

※風青し 青葉のころに吹き渡る強風のこと。青嵐(あおあらし)ともいう。

※鳥引く 白鳥・雁・鴨・鶴等秋冬に飛来し越冬した鳥が、春に北方に帰ること。

■古代の儀礼空間体験

 会津仏教文化発祥の地とされる慧日寺跡には金堂、外部と浄域を区画する中門が復元され、古代の儀礼空間を体験できる。近接する資料館には慧日寺などにまつわる資料が展示され、県指定重要文化財の絹本著色恵日寺絵図は中世の慧日寺周辺の景観を今に伝えている。問い合わせは、磐梯山慧日寺資料館 電話0242(73)3000へ。

 まゆずみ・まどか 2002年「京都の恋」で第2回山本健吉文学賞受賞。近著に「引き算の美学」(毎日新聞社)、句集「てっぺんの星」(本阿弥書店)、編著「まんかいのさくらがみれてうれしいな〜被災地からの一句」(バジリコ)など。

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