ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行

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復興願い海風渡る 小名浜港 いわき市

海風を受け、小名浜港にたたずむ黛さん
 小名浜の風に尾を跳ね鯉のぼり

 小名浜港に佇[た]ち、遙[はる]か沖を見ていると、自らが紡いだ二つの歌詞が心の中に甦[よみがえ]ってきた。一つは10年前に作詞したいわき秀英高校の校歌である。作曲はいわき市出身の小林研一郎氏。小名浜を旅立ち海の彼方[かなた]へと旅立って行く風を若者たちに喩[たと]え、羽ばたいてほしいと願いを込めた。
 それから8年後、東日本大震災が起こり、私は再びこの地の歌を作ることになった。「そして、春~福島から世界へ~」である。作曲は千住明氏だ。「寂しくて海を訪[おとなえ]ば 潮騒に抱[いだ]かれた 小名浜 小良が浜 ひしめく星の冴[さ]えわたり...」(「そして、春」より)。浜通りの冬の星空はそれは見事なのだと、地元の人たちは口を揃[そろ]える。
 小名浜港には、数日前初鰹[はつがつお]が揚がったという。また「アクアマリンふくしま」や「いわき・ら・ら・ミュウ」など幾つかの施設は既に再開し、賑[にぎ]わっていた。しかし鮮魚売り場に福島産の魚はなかった。「な~んにもないの。だって揚がらないもの...」。売り場のおばさんは悔しそうに言った。福島の漁業は遠洋を除いて操業の自粛をしているという。仮に魚が揚がったとしても風評被害でまともな売値がつかないのだろう。これが福島の現実なのだと、あらためて思わされる。
 車で少し内陸に入ると、田植えが終わったばかりの植田がひろがっていた。丹精込めて育てている米もやはり風評被害に苦しんでいるのだという。一カ月前に訪ねた折には新緑だった野山が、すっかり深緑になっていた。みちのくの自然の生命力には圧倒されるばかりだ。
 小名浜港から45分ほどで目的地の金澤翔子美術館に到着した。金澤翔子さんは障害を持ちながらも書家の母のもとで研鑚[けんさん]を積み、類まれな才能が注目されている新進気鋭の書家である。その第一号の美術館が、昨年いわき市遠野町に開設されたのだ。
 美術館の館長でもある母泰子さんの言葉を引く。「被災で荒涼と拡がる瓦礫[がれき]のなかで、翔子は心が震えて泣いた。そしてその瓦礫の中に、小さく真っ赤に咲く花を見つけて『希望の光だ!』とつぶやいた。(中略)今は何もできないけれど翔子は被災をされた方々に寄り添って居ます。そんな思いで『共に生きる』を書き、そして希望の光があると云う事を伝えたくて『希望光』を書きました。これから翔子が思いを込め渾身[こんしん]の力で書く作品がこの美術館に集められます」。
 美術館の玄関で、大きな「不死鳥」の書が迎えてくれた。待っていてくれたのは「不死鳥」だけではなかった。いわき秀英高校の在校生(代表数名)が花束を抱いて会いに来てくれたのだ。震災によって失われたものはあまりにも多いが、つながっていく縁もまた確実にある。
 「あ、風向きが変わりましたね」。同行記者の言葉に振り向くと、旧端午を祝うこいのぼりが、小名浜からの風を孕[はら]んでいきいきと泳ぎはじめていた。
 まゆずみ・まどか 2002年「京都の恋」で第2回山本健吉文学賞受賞。近著に「引き算の美学」(毎日新聞社)、句集「てっぺんの星」(本阿弥書店)、編著「まんかいのさくらがみれてうれしいな~被災地からの一句」(バジリコ)など。

■親水緑地に再開発 金澤翔子美術館が開設

 小名浜港は県内最大の港。1・2号ふ頭は親水緑地空間として再開発され、「アクアマリンふくしま」、いわき観光物産センター「いわき・ら・ら・ミュウ」などがある。いずれも東日本大震災で大きな被害を受けたが、アクアマリンは震災の四カ月後、「ら・ら・ミュウ」は八カ月後に再開、いわきの復興をけん引している。
 金澤翔子美術館は東日本の復興を願い震災後、「きもの乃館 丸三」内に開設された。問い合わせは、金澤翔子美術館 電話0246(89)2766へ。

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