ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行

  • Check

蛍火に昔をしのぶ 飯坂 福島市

芭蕉ゆかりの飯坂温泉を訪ねる黛さん
ほうたるへいづれの道も濡れてをり (※ほうたる="蛍"のこと)

 松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅で飯坂を訪れたのは、元禄二年旧暦の五月初旬のことだった。この地には藤原秀衡の家臣で奥州南部を治めていた佐藤庄司 (基治)の旧跡があった。庄司の息子継信・忠信兄弟はいずれも源義経の身代わりとなって討死した。兄弟の嫁たちが、甲冑[かっちゅう]を身に着け凱旋する 息子たちの武将姿に扮[ふん]して、悲嘆に暮れる舅[しゅうと]・姑[しゅうと]を慰めた話は、孝心の鑑[かがみ]として語り継がれ、後に古浄瑠璃「八 島」などの題材となった。兄弟の忠義心もさることながら嫁の心意気に芭蕉は甚[いた]く感動している。義経をはじめ薄倖[はくこう]の英雄や不遇な人に心 を寄せた芭蕉にとって、飯坂周辺は特別な地であり、且[か]つ〝平泉〟の段への重要な伏線でもあった。
 七月初旬、佐藤一族の菩提[ぼだい]寺で ある医王寺を訪ねた。山門を入って突き当りの薬師堂を囲むように佐藤の一族の墓があった。義経は頼朝軍に追われ平泉へ逃げ落ちる際に継信・忠信の遺髪など を携えてこの地に立ち寄り、医王寺にて追悼法要を催したという。源平の戦いで武勲を立てながらも、兄に嫌疑をかけられて追われる身となった義経に、死して 尚[なお]寄り添う兄弟の姿はどのように映っただろうか。
 芭蕉はその夜、飯坂温泉(本文では「飯塚」)に旅の草鞋[わらじ]を脱いだ。飯坂温泉 は日本武尊[やまとたけるのみこと]が東征の折に発見したと伝えられる歴史ある温泉で、古来多くの文人墨客を集めてきた。芭蕉は土間に筵[むしろ]を敷い ただけの粗末な家に泊まり、蚤[のみ]や蚊に襲われ散々な目に遭ったようだ。多少の誇張はあるにせよ、当時の旅の労苦を垣間見ることができる。
私も芭蕉に倣って飯坂温泉に泊まることにした。飯坂温泉の中心部には木造の公衆浴場「鯖[さば]湖湯」等があり、温泉場情趣に溢[あふ]れている。私がお 世話になった宿は女将[おかみ]さんがジュニア野菜ソムリエの資格を持ち、自分の畑で採れた新鮮な野菜や魚料理で心尽くしのおもてなしをして下さった。女 将さんの話によれば、桑折町を流れる産ケ沢川でまだ源氏蛍が見られるという。早めの夕食をとり、かわたれ時を桑折町へ急いだ。
 草いきれを掻 [か]き分け、水音のする方へ近づき、蛍が出るのを待つ。やがてとっぷり日が暮れると草むらから一つ二つと蛍が舞い始めた。厚樫[あつかし]山周辺のこの 地域はかつて頼朝軍が攻め入った折の古戦場である。佐藤一族を落とした頼朝軍はさらに北上し、追いつめられた義経は平泉で自害して果てた。しかし今は頼朝 も義経もなく、源氏蛍がひたすらに恋を求めて、命の火を燃やしながら飛び交っていた。
 『おくのほそ道』の〝飯塚〟のくだりは「伊達の大木戸をこす」で締め括[くく]られている。つまり〝佐藤庄司が旧跡〟にはじまる飯坂の旅は、義経一行と佐藤一族をはじめとする人々への深い鎮魂の旅でもあったのだ。
 宿に戻って湯に浸った。飯坂の湯は柔らかく包みこむように旅で疲れた身をほぐしてくれた。目をつむると眼裏に蛍火が瞬きはじめた。

■鯖湖湯など9つの公衆浴場 湯治客 全国から

全国から湯治客が訪れる温泉地として古くから栄えた。情緒あふれる温泉街には飯坂温泉発祥の湯とされる鯖湖湯をはじめ九カ所の公衆浴場がある。泉質は弱ア ルカリ性の単純温泉で神経痛、関節炎、筋肉痛、冷え性、疲労回復などに効果があるとされる。問い合わせは、飯坂温泉観光協会 電話 024(542)4241へ。

ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行の最新記事

>> 一覧