ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行

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十日市 会津若松 庶民の活気伝わる

縁起物の風車を買い求める人たちでにぎわう十日市
 
市の雪に埋もれて鍬と鋤

 夕まぐれの雪道を老若男女が大町へと流れていく。みな浮き浮きと足取りも軽く、雪に慣れない私は追い越されてばかりだ。甲賀町[こうかまち]口郭門跡を過ぎるとやがて行く手に市の灯が見えてきた。

 十日市の歴史は古く630年前葦名直盛の時代には既に市の原型はあったと言われる。さらにその200年後蒲生氏郷が若松の町割りを作った折、常設の店がなかったため各町に持ち回りで毎日市を開かせるようになった。会津城下の大町では5と10の日に市が開かれ、旧暦の1月10日が年の始めの市となった。初市には十里四方から人が集い、農作物の豊凶を占う「俵引き」を観戦し、市神[いちがみ]に詣でて縁起物や農具、日用品などを求めた。年始の挨拶を交わす慣習もあり、初市は町方と村方の人々の交流の場でもあった。近郊の農家は、日頃肥料の糞尿を提供してくれる家々に大豆一升を持って挨拶に回ったという。迎える町方はこづゆや御神酒[おみき]でもてなした。もうそこまで春は来ている。十日市は庶民の活気に溢[あふ]れていたに違いない。

■起き上がり小法師を選るに雪明り

 市神を祀る田中稲荷に詣でた後、まずは縁起物の起き上がり小法師[こぼし]を求めた。地元の人に倣って盆の上に一掴[つか]みの起き上がり小法師を転がし、起き上がったものをだけを選[え]る。小法師の着物が赤いのは、達磨と同じで"疱瘡除[ほうそうよ]け"だという。まめで達者に働けるようにと願いを込めた「風車」は黒豆で芯を留めてある。「市飴」は歯病み防止の歯固めだ。「市塩」には北塩原の山塩や瀬戸内海の塩が売られ、昔は囲炉裏や竈[かまど]などの火伏に用いた。共白髪を意味する「麻の糸」や鶯[うぐいす]の「初音」を奏でる竹笛などの縁起物は今はないが、食器や刃物、農具などが露店に並び往時を偲ばせた。農具店や鍛冶屋が少なくなったせいだろうか、越後から毎年来ているという刃物屋のご主人の話では、最近農具がよく売れるのだそうだ。

 翌朝一番の只見線で三島町へ向かった。「まだまだ!雪は川口からが本場だから!」。車窓の雪景色に歓声を挙げる私たちに、隣り合わせたおばあちゃんが笑って言った。「車がない私のような年寄りはみんな只見線に乗るんだよ」。初市帰りか、おばあさんのリュックは膨らみ切っていた。

 山ぶどうの皮を天井からびっしりと下げた作業小屋で、五十嵐二三夫さんは籠を編んでいた。御年88歳、若い頃は樵[きこり]や狩猟などの山仕事もしたという。「昔は十日市にも行ったわい」身ほとりには代々使ってきたさまざまな道具が置かれている。山ぶどうの皮を削る小刀は戊辰戦争のときの刀で、五十嵐さんのお父さまが作業用に作り直したのだという。この地方では小正月の前日に農具などの道具類に供え物をして祝う風習「道具の歳取り」が今も行われている。日々お世話になっている道具に感謝をし、労うのだ。越後から会津へ、町から村へ、親から子へ...道具は旅を続ける。

 「木が倒れるときは嫌な気持ちがしたわい。やっぱし木も生きてっからな」。飾らない一つ一つの言葉に88年の人生の万感が籠る。山も人も道具も一緒に歳を取り、春を迎える。

 取材協力...会津歴史考房 野口信一さん

■経歴
 まゆずみ・まどか 2002年、句集「京都の恋」で第2回山本健吉文学賞受賞。オペラ「万葉集」「滝の白糸」の台本執筆、福島県の応援歌「そして、春~福島から世界へ」の作詞なども手掛ける。近著に「うた、ひとひら」、「引き算の美学」、句集「てっぺんの星」など。公式ホームページhttp://madoka575.co.jp

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