ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行

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炉話 大内宿(下郷町) 伝統守り生き抜く

すっぽりと雪に包まれた大内宿。古い家並みを守って人々が暮らす

 雪しづる音に途切れし炉辺夜話

※炉話(冬) 囲炉裏端での語らい。

 宿場町の多くがそうであるように、大内宿は道と運命を共にし盛衰を繰り返してきた。会津と江戸を結ぶ会津西街道は、江戸時代になると参勤交代や物資の輸送路として繁栄し、街道の要衝であった大内宿も共に発展する。ところが1683年の日光大地震で道が遮断され、参勤交代のルートが変更されると衰退の一途を辿[たど]りはじめる。火災や飢饉、戊辰戦争を乗り越え辛うじて残った大内宿だったが、明治期になり国道や鉄道が整備されたことで、会津西街道はその役割を終えた。そして大内宿はいつしか忘れられていく。

 昭和44年、大学で建築を学ぶ相沢韶男[つぐお]青年が大内宿を訪れ、江戸時代の面影を残す村の保存をメディアを通して訴えたことが一つの転機となった。折しも高度経済成長期に突入する最中のこと。やがてダム建設の計画が持ち上がる。近代化か保存か。結果的に村人は両者を選んだ。昭和56年大内宿は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、その後大川ダム、大内ダムが完成する。

 2月半ば、大内宿は朝から大雪に見舞われていた。昼食をとりに入った手打ち蕎麦の店では、メニューにパティシエの娘さんが作るデザートも並ぶ。地元産の果物や木の実を使った洋菓子をネット販売して雇用を生み、冬の間の仕事を確保したいのだと女将の佐藤則子さんは目を輝かせた。「年齢を重ねるごとに大内宿の良さがわかってきました」と則子さん。例えば観音講。各家が持ち回りで毎月17日に子安観音の掛け軸を祀[まつ]り、女性だけを招いて行う。御馳走を食べながらおしゃべりに花を咲かせる講は、雪に閉ざされた冬の何よりの楽しみだ。「ストレス解消ね!」。子安観音は愚痴も悩みも笑いもすべて受けとめて、次の家へ次の時代へと大切に渡されていく。厳しい風土を生きる女性たちにまさに寄り添い続けてきたのだ。観音様は今どこの家にいるのかと尋ねると則子さんは首を傾げた。「今はどこかなぁ...」。

 今宵の宿扇屋本家は築300年だ。女将の喜恵子さんが囲炉裏で岩魚を焼きながら昔語りをしてくれた。19歳で"山の向うから"お嫁に来たという喜恵子さん。村は貧しく、喜恵子さんは子供を産み育てながら男並みに働いた。「林業、農作業、旅館の皿洗い、ダムの工事現場の飯炊き...何でもやったぁ」。話している間にもぐんぐん気温が下がってきた。「よかったら着なっしょ」。喜恵子さんが綿入れを貸してくださった。さて、扇屋さんでは去年の春に観音講を開いたという。2年に一度回ってくるという子安観音。「今?どこに居るんだべ...」。あらためて問われると誰も観音の所在を知らなかった。が、むしろそこに観音への深い信仰を見た気がした。

 夕食には地酒が振舞われ囲炉裏端での話は盛り上がる一方だ。時折ふっと会話が止むと、鉄瓶に湯の沸く音だけが微[かす]かに聴こえる。しんしんと更ける...とは、こんな夜を言うのだろう。様々な葛藤を経て今のあり方を選んだ大内宿。人々は雪と闘い、火を怖れ、神や仏を敬い、結や伝統行事を守り、新しいものを大胆に取り入れながらこの小さな村で生き抜いてきたのだ。

 夜、布団に入って目をつむると、雪に覆われた村のどこかにひっそりと在す子安観音の姿が浮かんだ。

■経歴
 まゆずみ・まどか 2002年、句集「京都の恋」で第2回山本健吉文学賞受賞。オペラ「万葉集」「滝の白糸」の台本執筆、福島県の応援歌「そして、春~福島から世界へ」の作詞なども手掛ける。近著に「うた、ひとひら」、「引き算の美学」、句集「てっぺんの星」など。公式ホームページhttp://madoka575.co.jp

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