ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行

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請戸小学校 浪江町 取り残された教室

真っ青な海を背に、請戸小学校だけがぽつんと残る。遠くに東京電力福島第一原発の排気筒が見える
学舎(まなびや)も学びし日々も陽炎(かぎろ)へる

※陽炎(春)...強い日差しのために熱せられた地面から水蒸気が立ち上り、ゆらゆらと物の形が揺らめいて見える現象。

 卒業式を1週間後に控えた3月11日、請戸[うけど]小学校は震度6強の揺れに襲われた。子供たちは机の下にもぐり込み揺れに耐えた。学校は海岸から300メートル程しか離れていない。津波を予測し、即座に児童を一番近くの里山に避難させることになった。既に下校していた1年生を除く約80人が2キロ先の大平山に向かって走る。後ろから津波の音が迫るなか励まし合い、地震で倒れた木々を避けながら子供たちは山を登ったという。

 ようやくたどり着いた避難所には、心配して我が子を探す親たちが駆けつけた。一方でいつまで待っても家族と会えない子供たちがいた。翌日、隣町に建つ東京電力福島第一原発が水素爆発を起こし、浪江町では全域に避難指示が出される。親と会えないまま知らない町へと移動させられた子供たちはどんなに心細かっただろう。

 昨年の9月に3年半ぶりに全線開通となった国道6号線を、南相馬市から車で南下した。自家用車も多く、時折渋滞するほど混み合っていたが、小高地区に入った途端にたちまち様相は一変する。地震や津波で壊れた建物がそのまま放置され、破損を免れた家々も荒草に覆われて人の気配が全くない。6号線から東西に入る脇道はことごとくバリケードで封鎖されていた。

 請戸地区に入る道の検問所で車を止められ、通行許可証と一人一人の身分証明書の提示を求められた。鮭の遡上で有名な請戸川に沿って東へ進むと、真っ青な海を背に請戸小学校が見えてきた。視界を遮るものはほとんどなく、この一帯がかつて住宅地だったと想像するよすがはない。300年の伝統を誇る安波[あんば]祭や田植踊で有名な●野[くさの]神社は杜も社も流され、折れた大樹の根元が辛うじて地面に貼り付いていた。

 小学校の体育館に入ると、壇上に掲げられた「祝 修・卒業証書授与式」の横断幕が目に飛び込んできた。1階の教室には机も椅子もなく、時計という時計の針が津波到来時刻の「午後3時38分」をさしていた。津波の被害が及ばなかった2階は、避難した4年前のまま時が止まっていた。教室の後ろの小さな黒板には「今月のめあて」と学級目標が書かれている。「1年間のまとめをしよう。授業と休み時間の区別をしよう」。1年間のまとめをして、それぞれに新しい春を迎えるはずだった。学校には震災の直前の子供たちの生活と少し先の未来が残っていた。皮肉にも自分たちが後にした母校の姿を、子供たちが見ることは当分の間ない。教室の窓からは紺青を尽くす海原と原発の排気筒が望めた。

 震災後、岩手や宮城では被災した建物等を震災遺構として保存するか撤去するかを巡り議論が起こった。が、請戸小学校は保存でも撤去でもなく、ぽつねんと取り残されていた。誤解を恐れずに言えば、置き去りにされていた。その姿は大人の社会に翻弄される福島の子供たちと重なった。
 帰り際校内を見てまわる外国人の一団に出会った。世界中から集まった仏教徒だという。彼らは帰国して福島で見たものを、請戸小学校のことを語るだろう。孤島のように取り残された小学校が、世界に向けて声なき声を上げはじめた。

■経歴
 まゆずみ・まどか 2002年、句集「京都の恋」で第2回山本健吉文学賞受賞。オペラ「万葉集」「滝の白糸」の台本執筆、福島県の応援歌「そして、春~福島から世界へ」の作詞なども手掛ける。近著に「うた、ひとひら」、「引き算の美学」、句集「てっぺんの星」など。公式ホームページhttp://madoka575.co.jp

※●は草カンムリに召

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