ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行

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高橋の虫送り 会津美里町 自然への畏敬の念

上冑の稲荷神社で行われた虫籠作り。虫籠は思ったより大きく駕籠のようだ
不揃ひに山の暮れゆく虫送り

 「虫送り」という季語を歳時記で知ってから、いつか見たいと憧れてきた。「虫送り」は稲や農作物を害虫から守り豊作を祈願する伝統行事で、土用入りの前夜大きな虫籠[かご]に虫を入れ村境の川に流す。ひと昔前までは全国各地で行われていたこの行事は、農薬の普及と共に急速に失くなりつつある。

 会津美里町高田では江戸時代から続く「虫送り」が今も受け継がれている。毎年7月19日に、宮川を挟んで東側の尾岐窪地区、西側の冑[かぶと]・小山・仁王地区でそれぞれ虫籠を作り、子供たちが行列を作って宮川に架かる高橋まで虫籠を送り、川に流す。

 「虫送り」当日の昼下がり、上冑(冑地区)の稲荷神社で虫籠作りが佳境に入っていた。小さな社の中では4人の男たちが刈り立ての真っ青な萱[かや]に埋もれるように作業をしている。虫籠は思っていたより大きく、駕籠[かご]のようだ。雑木で組まれた骨組に丹念に萱を葺[ふ]き、仕上げに朴[ほお]の葉を鱗[うろこ]のように重ねて籠を覆う。虫籠作りは昔から上冑地区の長男だけに継承されてきた。早朝から萱や朴の葉を採りに山に入り、一日がかりでつくる。指揮をとるのは年長の金田敏明さんだ。社には40年前の虫籠作りの写真が飾られていた。「うちのじいちゃんも写ってるよ」金田一孝さんは30代、一番の若手だ。「子供の頃は何とも思わなかったけど、じいちゃんよくやってたよな...」と感慨深げにモノクロ写真を見つめた。

 尾岐窪地区では82歳になる星清伍さんが一人で半月をかけて制作する。胡桃[くるみ]の木を芯に四角い傘を広げたような形状で、やはり萱を葺いてある。傘を支える籠の部分は繊細な竹細工で、仕上げには紫陽花を飾る。冑地区の籠は素朴で力強く、尾岐窪地区のそれは優美。ゆえに前者を男籠、後者を女籠と呼ぶそうだ。籠には蕗[ふき]の葉で包んだ虫が入れられる。

 「稲の虫も、煙草の虫も送んぞ」。夕暮迫る高橋に佇んでいると法螺貝の音と共に両岸から子供たちの元気な声が近づいてきた。そして天の川に架かる鵲橋[じゃっきょう]のごとく、男籠と女籠が高橋の真ん中で落ち合った。橋の入り口には結界を示す斎竹[いみだけ]が立てられている。宮川の下流に聳[そび]える磐梯山を背に2台の虫籠が並べ置かれると、住職によって虫供養が行われた。「昔は神社で虫札をもらい、田んぼの水口に刺したものですよ」と地元の方が教えてくださった。害虫の大発生は凶作をもたらし、飢饉をも招きかねなかった。籠を丁寧に作り、花で美しく飾るのは、人々の必死の願いと自然への畏敬の念の表れだ。大声で「虫送り」を唱えるのは、言霊を信じていたからだろう。厳しい風土とそれゆえの信仰の篤さを思わずにはいられない。

 橋の袂[たもと]には子供たちの願い事(主に自分の欠点)が書かれた短冊が貼られている。虫籠と一緒に流すのだという。泣き虫、おこり虫、忘れ物虫、さぼり虫...。さて、私は何虫を流そうか。

 8時、とっぷりと暮れた岸辺には灯籠がともされ、磐梯山は闇に紛れていた。女籠・男籠が川へ投げ込まれると、籠を飾っていた紫陽花や唐葵[からおおい]の花が川面に散らばり、浄土を思わせた。しばらくは流れを見つめ掌を合わせていた人々も、稲の香の中をてんでんに家路に就いた。

■経歴
 まゆずみ・まどか 2002年、句集「京都の恋」で第2回山本健吉文学賞受賞。オペラ「万葉集」「滝の白糸」の台本執筆、福島県の応援歌「そして、春~福島から世界へ」の作詞なども手掛ける。近著に「うた、ひとひら」、「引き算の美学」、句集「てっぺんの星」など。公式ホームページhttp://madoka575.co.jp

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