ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行

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川俣シルク 川俣町 世界一薄く、軽く

「絹のことはとことん勉強しています」。工場の天井に吊るされた生糸を指して、齋藤社長は胸を張る
風を抜け花野を抜けて絹の道

※花野(秋)...秋の草花が咲きみちた野原のこと。
※色なき風(秋)...秋風のこと。秋風は五行説の金に配し、色にして白。それを「色なき」とした。

 世界一薄く、世界一軽い絹の布が川俣町で生産されていると聞き、どうしても手に取ってみたくなった。沿道には稲穂が垂れ、秋の花々が咲き乱れる国道114号を川俣方面へ向かう。

 「髪の太さの六分の一です」。齋栄織物の齋藤泰行社長が言った。隣で長男の齋藤栄太常務が頷く。世界一薄い絹はまるで妖精の羽のようなので「フェアリーフェザー」と名付けられた。その開発には4年の歳月がかけられたという。

 絹織物は江戸時代末期から日本の重要な輸出産業だった。福島県の養蚕・絹織物の歴史は古く、中でも川俣は「絹の里」として、明治以降品質の良い薄地の絹織物を欧米諸国へ輸出していた。輸送用の鉄道が川俣まで通り、東北で最初の日本銀行出張所が福島に開設されたということからも、最盛期の勢いが窺い知れる。ところが近年の和装離れや化学繊維の登場で絹織物産業は低迷し、生産量は50年前の15分の1にまで減少した。

 生き残りをかけ、齋藤社長が"付加価値のある製品"をつくるための開発に着手したのは、震災以前のことだ。世界一薄い絹には、「三眠蚕[さんみんさん]」と呼ばれる三回しか脱皮していない蚕の繭の糸を使った(通常は4回脱皮したものを使う)。繭が小さく柔らかいので糸も蜘蛛の糸のように細くてしなやかなのだという。超極細の糸を作り、織りの過程で切れたり毛羽立ちを起こさないようにするため織機にも改良を重ねた。その結果それまでは手織りでしか出来なかった超軽量の絹織物の量産化に成功。フェアリーフェザーが誕生した。2012年2月、フェアリーフェザーは「第4回ものづくり日本大賞」の内閣総理大臣賞を受賞した。その後、「アルマーニ」が女性用のコートに採用するなど、世界にその名を知られるところとなった。

 工場の天井には夥しい生糸が吊されている。糊付け、糸繰り、整経、糸通し、織り、染色、糊落とし等の一連の作業は、昔はすべて川俣一帯で行っていたが、現在では染色は京都、糊落としは山形など、全国に分散している。どこか一つでも欠ければ成立しない。日本の絹織物産業の現状は厳しい。

フェアリーフェザー 色なき風を纏ふごと

 数十台の織機が豪快な音を立てて動き続けている。「これがフェアリーフェザーですよ」。促されて目を落とすと、織機の下に敷いてある新聞の文字が生地を通して読めた。独特の張りと艶があり、ウエディングドレスにも使われているという。ふと、この薄絹を纏い軽皇子と偲び合う衣通姫を想像した。その光は肌を通して絹全体に溢れ、闇に明かりを灯した。

 とかく華やかなイメージがある業界だが、実は齋栄織物で生産される商品のうちアパレルや和装に使われるのはあわせて6割ほど、あとは医療用具や工業製品等だ。最近ではNASAからも注文がくる。「絹のことはとことん勉強しています」と齋藤社長は胸を張る。刻々と変化する時代に機敏に対応しながら、付加価値の高い独自の製品を開発していく。平坦ではないが、日本のシルクロードは確実に未来に向かって延びている。

■経歴
 まゆずみ・まどか 2002年、句集「京都の恋」で第2回山本健吉文学賞受賞。オペラ「万葉集」「滝の白糸」の台本執筆、福島県の応援歌「そして、春~福島から世界へ」の作詞なども手掛ける。近著に「うた、ひとひら」、「引き算の美学」、句集「てっぺんの星」など。公式ホームページhttp://madoka575.co.jp

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