ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行

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牡丹焚火 須賀川市 感謝を込めて供養

冬の須賀川牡丹園。寒牡丹が今年最後の花を咲かせていた
みちのくの夕月淡し牡丹焚く

 牡丹の花に魅了され生涯を捧げた男がいる。生糸問屋「糸八木屋」の長男として須賀川に生を受けた柳沼源太郎(1875~1940年)は、祖父新兵衛が明治初期に受け継いだ牡丹園の運営に専心するため家業を弟に譲り、園内に移り住んで牡丹の栽培に心血を注いだ。
 「源太郎は牡丹と共に起き、牡丹と共に寝るといった生活を送りました」。須賀川牡丹園保勝会の柳沼勝馬理事長はそう語る。牡丹園の前身は薬草園で、明和3(1766)年この地で薬種商を営んでいた伊藤祐倫が薬用目的で牡丹を栽培し始めた。牡丹の根(牡丹皮)には鎮痛・抗炎症作用があり、漢方薬として用いる。新兵衛は薬草園を買い受けると、観賞用の牡丹の栽培へと切り替えた。祖父や父が丹精した牡丹を見て育った源太郎は、専門的な栽培の勉強をするために15歳で上京。開成中学を経て東京農科大学に進学する。大学卒業後は人生のほとんどを牡丹と共に生きた。破籠子[はろうし]という俳号を持つ俳人でもあった源太郎は、牡丹に仕える傍ら四季折々の姿を句に活写した。昭和初期の不況で牡丹園が経営難に陥った折には「牡丹を多くの人に見ていただきたい」という一念のもと、柳沼家一族が結束して難局を乗り切ったと言う。次の句には当時の心境がよく表れている。

芽牡丹に 触るるも 夢の浮世かな 破籠子

 夕暮間近の園内を勝馬さんに案内していただいた。東京ドームの三倍という広大な敷地には在来種から新種まで約300種・7千株が植えられ、樹齢200年を越える古木もある。寒牡丹の前で足を止めた勝馬さんがおっしゃった。「目肥やしと言って、常に目をかけてやることが何よりの肥やしです」
 さて、須賀川牡丹園発祥の風物詩に「牡丹焚火」がある。樹齢を重ねて枯れた老木や折れた木[ぼく]を弔う行事で、源太郎が始めてから120年程続いている。中国伝来の牡丹だが、中国では横に這[は]うように育てて愛でる。フランス人は香りを、アメリカ人は色を楽しむと言う。国や民族によって観賞の仕方は様々だが、枯枝の供養をするのは日本の他にないだろう。
 薄暮の中、積まれた木[ぼく]の周りには既に人垣が出来ていた。そこへ手に大きな袋を提[さ]げたご婦人が息を切らしてやってきた。袋には牡丹の枝が入っていた。樹齢80年の牡丹が家の庭にあり、枯れたり剪定したりした枝を毎年ここで供養しているのだそうだ。「新しい枝が出てくると、若い枝に養分を回すために古い枝を剪[き]るんです。それまで美しい花を咲かせてくれた古い枝に感謝を込めて供養するんですよ」
 火が点されると瞬く間に燃え広がり、炎が立ち上がった。ところどころ炎の色が違うのは樹齢の違いによるのだそうだ。30分程燃えていただろうか。その間皆黙って炎を見つめていた。なかなか燃えずに残っていた一枝に紅の炎がぽっと移った。まるで老木が最期の花を咲かせているようだ。「なんだか悲しくなっちゃったわ...」。後ろにいた女性が誰にともなく呟[つぶや]いた。火はやがて青紫色になり、ほのかな芳香を漂わせて潰[つい]えた。焚火が消えた園では、夕月を掲げた篁[たかむら]が風に吹かれて騒いでいた。

 牡丹焚火 燃え尽きてより香り初む まどか


※牡丹焚火...樹齢を重ねて枯れた木(ぼく)などを焚いて牡丹を供養する行事。須賀川牡丹園で毎年11月第3土曜日に行われる。昭和53年に歳時記に冬の季語として採択された。


■まゆずみ・まどか 2002年、句集「京都の恋」で第2回山本健吉文学賞受賞。オペラ「万葉集」「滝の白糸」の台本執筆、福島県の応援歌「そして、春~福島から世界へ」の作詞なども手掛ける。近著に「うた、ひとひら」、「引き算の美学」、句集「てっぺんの星」など。公式ホームページhttp://madoka575.co.jp

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