ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行

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上川崎和紙 二本松市 伝統 新たな縁繋ぐ

伝統を受け継ぐ上川崎和紙の紙漉き作業=二本松市和紙伝承館
水を揺り水を重ねて紙を漉く

 「心ゆくもの...白くきよげなる陸奥紙に、いといと細う、書くべくはあらぬ筆して、文書きたる」(『枕草子』二十八段・3巻本より)。かの清少納言は「気持ちの良いもの」として、「真っ白で美しい"陸奥紙"に、細い字で書いた手紙」を挙げる。
 日本に紙がもたらされたのは7世紀初頭のこと。陸奥紙とは東北地方で作られる和紙の総称で、平安中期に陸奥守が朝廷に献上したのが始まりとされている。冷たい水で漉[す]くほど丈夫で美しく仕上がるため、東北では良質の和紙を産していたに違いない。冒頭の一文からは、当時宮中で陸奥紙がいかに珍重されていたかが窺える。
 陸奥紙に起源を持つ和紙の一つに、二本松(旧安達町)の上川崎和紙がある。明治の最盛期には300戸以上あったという紙漉き農家は、時代と共に減少。現在は二本松市和紙伝承館でその技術が継承されている。
 底冷えのする初冬、和紙伝承館を訪ねた。ここでは楮[こうぞ]の栽培から紙漉きまでのすべての工程を行っている。12月に収穫した楮はまず大釜で蒸し、皮を剥ぎ取る。さらに黒い表皮を剥いで、白く残った皮を再び大釜で煮る。川で洗って不純物を取り除き(楮ゆすぎ)、叩いて繊維を砕き、漉き舟で溶かして漉き上げる。
 「洋紙は時間の経過とともに黄ばんでいきますが、和紙は紫外線を受けるとますます白くなります」と店長の渡辺典子さん。上川崎和紙はとりわけ丈夫で、障子紙として重宝された。風を遮り湿度を調整する障子は、日本の気候風土に適っている。
 紙漉きを体験させていただくことになった。楮を溶かした水を簀桁[すげた]に掬い、細かく揺すって水を濾す。黄蜀葵[とろろあおい]を混ぜた水は粘り気があり、漉き舟にとぷんとぷんと波が立つ。漉き上げた和紙は丁寧に端を揃えて紙床[しと]台に重ねていく。重労働で且つ繊細だ。
 かつて上川崎では阿武隈川の水を使って和紙作りをしていた。「楮ゆすぎ」は女性の仕事で、安達太良颪[おろし]の吹きすさぶ川辺で、時折鉄瓶の湯で手をあたため感覚を取り戻しながら行っていたそうだ。宮廷の女性たちを魅了した陸奥紙だが、その華やかさとは裏腹に生産の現場は過酷だ。
 近年上川崎の和紙を卒業証書に使う学校が増えている。仮校舎を二本松に置く浪江小学校・津島小学校もその一つだ。
 学校では子供たちに、故郷の浪江町と今暮らしている二本松のことを学習させる取り組みを行っている。子供たちは地域の人と交流しながら、それぞれの歴史や自然、伝統文化などを学ぶ。紙漉きは6年生が毎年1月末の寒中に行う。
 「自分で漉いた卒業証書を手にした時の喜びは一入です」と浪江小校長の遠藤和雄先生は話す。寒さや水の冷たさを堪えて作った二つとない卒業証書なのだ。ものを作る喜び、作り手の苦労や情熱を1枚の卒業証書に知る子供たち。家族や先生方、地域の人たちの思いも詰まっている。なんと重みのあるそして温かい卒業証書だろう。二本松を第二の故郷とする子供たちの中から、将来上川崎和紙の担い手が生まれるかもしれない。伝統の和紙が、新たな縁[えにし]を繋ぎはじめている。=随時掲載=

※季語「紙漉」(冬)...寒水で漉いた和紙は強くて上質なことから、冬を時季とする。

 まゆずみ・まどか 俳人。オペラの台本執筆、福島県の応援歌「そして、春~福島から世界へ」や校歌の作詞も手掛け幅広く活動中。近著に『ふくしま讃歌』。呼びかけ人代表を務める「日本再発見塾」第11回を奥会津で11月18日~19日に開催予定。詳細に関する問い合わせは実行委員会(金山町観光物産協会内) 電話0241(42)7211へ。公式ホームページhttp://madoka575.co.jp

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