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元気発信決意新た 田んぼリンク関係者 会長の遺志継ぐ

菅野さんの遺志を継ぎ、田んぼリンクのにぎわいを取り戻す誓いを新たにする大内さん

 5月24日に81歳で亡くなった川俣町山木屋の菅野十一(とういち)さんは川俣スケートクラブ会長として、山木屋の田んぼリンク「絹の里やまきやスケートリンク」の整備・運営やスピードスケート選手の育成に尽力した。地元の関係者は菅野さんの遺志を継ぎ、山木屋の元気を発信する決意を新たにしている。
 田んぼリンクは1984(昭和59)年2月、渡辺弥七町長(当時)の発案を受けた菅野さんや大内秀一さん(69)ら地元の5人が開設した。同年11月に川俣スケートクラブが発足。53人の国体選手が田んぼリンクから誕生した。
 リンク開設当初、会長の菅野さんと副会長の大内さんは製氷作業などを巡り激しい議論を交わした。大内さんは「何度けんかしたかわからない。でも子どもが元気に滑る姿を見たい気持ちは同じだった。今は楽しい思い出」と回顧する。薄い氷を何層も重ね、強く固く滑る氷面に-。試行錯誤の末に整備方法を確立した。
 今年2月にフィギュアスケート元世界女王の浅田真央さんを招いたスケート教室が開かれた。病気療養中だった菅野さんも姿を見せた。4月に開校した小中一貫校の斎藤仁道校長(49)は「山木屋で授業を再開すると伝えたら『戻れるんだね』と喜んでくれた」と柔和な笑顔を思い出す。菅野さんは原発事故前、山木屋小で炭焼き体験の講師も務めた。斎藤校長は「小中学生には多くの人が学校を支えてきたことを忘れないでほしい」と願う。
 5月16日のスケートクラブ総会で大内さんが新代表に就いた。病床の菅野さんにも報告した。それが最後の会話になった。29日に営まれた告別式の弔辞で大内さんは約束した。「今まで以上に素晴らしい田んぼリンクにします」。情熱は確かに受け継がれる。

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