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今を生きる 原発事故の現場から(23) おれはまだ働ける

原発の様子を伝える新聞に目を通し、現場復帰を願う藤田さん

 「自分にも何かできることがあるはずだ」。大熊町の藤田昭俉さん(63)は避難先の北塩原村のホテルで募る思いを口にした。
 震災の日まで福島第一原発で28年間、配管の温度を保つ仕事に携わった。原発事故の現場に臨む同僚をただ遠くで見守っていることに耐えられなくなっていた。
    ◇   ◇ 
 塙町に生まれ、26歳で上京してトラックの運転手を始めた。田村市都路町出身の妻清子さん(57)と結婚後、35歳で大熊町に移り住み、義父の勧めで東京電力の協力会社に就職した。
 あの日は若い作業員らと断熱材を加工する仕事に当たっていた。ビー、ビー、ビーと聞き慣れない発信音が携帯電話から鳴った。緊急地震速報と知る間もなく、大きな揺れに襲われた。
 必死に外に出ると、3号機から、はいつくばって逃げる同僚の姿が見えた。原発がこれからどうなるのか想像もつかなかった。爆発事故が起きた時、前日までその場にいたことに恐怖を覚えた。
 清子さんと町内の集会所で一夜を過ごし、三春町に避難した。4月初めに移った北塩原村のホテルには、多くの町民が身を寄せていた。避難者でつくる自治会の副会長として住民と町の連絡役を買って出た。
 山菜採りをしていると気が紛れた。しかし、先のことはかすんだままだった。ニュースは連日、一進一退の収束作業の模様を伝えていた。「いつまでこうしているのか」。同僚の姿が目に浮かんだ。
 5月中旬、地元の中学校の田植えに参加した。生徒と一緒に泥にまみれているうちに、忘れかけていた汗の心地よさを思い出した。「おれはまだ働ける」
 現場に行きたいと清子さんに告げた。30年以上寄り添う妻は「頑張ってみたら」と背中を押してくれた。7月上旬にいわき市のアパートに移り、会社に仕事への復帰を申し出るつもりだ。
    ◇   ◇
 震災前、マイホームのローンが終わる65歳までは働き続けようと思っていた。復帰後の仕事に終わりは見えない。厳しい場面が待ち構えると覚悟する。
 青い海、降り注ぐ陽光。慣れ親しんだ風景を思い描き、心を奮い立たせる。「あと1、2年は働く自信がある。自分の居場所はあそこにしかない」

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