東日本大震災

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今を生きる 復興の誓い 涙に込め

合同葬を終え、地区の役員と今後について語り合う志賀さん(左)

 東日本大震災から百日目の18日、県内の被災地などで合同葬や合同供養が営まれた。あの日、地域を襲った悲しい記憶が今も鮮明に残る。津波に襲われるなどして失った家族、友人...。在りし日の面影に参列者が静かに手を合わせた。「一日も早く復興させることが生き残ったわれわれの使命」。いつの間にか過ぎ去った時間の長さをかみしめながら、切なる誓いを胸に刻んだ。


■地域の絆忘れない 亡き家族、仲間の思い出胸に
 【いわき市平薄磯区長代理 志賀隆一郎さん】
 「一人一人が掛け替えのない存在でした。みんなで過ごした日を忘れずに生きていきます-」。116人が津波などの犠牲になり、いまだ9人が行方不明になっているいわき市平薄磯地区の合同葬。式辞に立った区長代理の志賀隆一郎さん(78)は言葉を詰まらせた。
 津波にのみ込まれた区長に代わって震災から百日間、地区を取りまとめ、住民の遺体収容やがれきの撤去に当たってきた。「これで区切りがついた」。地区の仲間と亡き家族の弔いを終え、復興への歩みを始めた。
   ◇  ◇
 市内鹿島町の病院に通院中、震災に襲われた。電話がつながらず、家族の安否が分からない。寸断された道路を避け、地区住民が集まっていた避難所にたどり着いた。薄磯にいた家族のうち息子と孫3人は無事だった。しかし、妻タキノさん(77)の姿はなかった。
 妻を案じながらも、地区の対策本部をつくり、不休で対策に当たった。遺体安置所には「家族同様の存在」だった地区民の遺体が次々と運び込まれた。泥にまみれ、目を見開き、こぶしを固く握りしめていた。「苦しかっただろう」。胸が張り裂けそうだった。
 タキノさんの遺体が見つかったのは震災から11日が過ぎた3月22日。共に働いてきた食品加工工場でがれきの下敷きになっていた。長年寄り添ってきた顔を確認し、「冷たかったべなあ」と声を掛けた。「見つかってよかった」。病気で生前から曲がっていたタキノさんの両手親指を優しくさすった。
 行方不明になっていた妹良子さん(70)、弟幸次郎さん(65)の遺体も見つかった。「みんな身をもって津波の恐ろしさを教えてくれたんだ」
   ◇  ◇
 震災前は4月で引退しようと思っていた地区の役員。薄磯地区の人たちが再び安心して暮らせる日が来るまで、やめられなくなった。「津波が来ても大丈夫なまちをつくる。それが死んだ人への恩返しだよ」


■慰霊の炎に義父を思う 天国の母さんに会いに行ったんだ
 【相馬の高橋京子さん 】
 「天国の母さんに会いに行ったんだ」。18日、相馬市の長友グラウンドにたかれた慰霊の火を見つめ、津波で義父幸男さん(82)を失った相馬市原釜の会社員高橋京子さん(57)は頬をぬらした。
 幸男さんは半世紀以上連れ添った妻の照子さん(80)を1月に亡くした。照子さんの闘病生活を支え続けた幸男さん。評判の仲良しの夫婦だった。
 照子さんを失った幸男さんは毎日、照子さんの眠る墓に通った。市内を巨大津波が襲った、あの日も墓参りを終え、1人で自宅にいたところ被災した。
 津波は原釜地区の住宅を粉々にして、幸男さんをのみ込んだ。だが、照子さんの眠る場所だけは残してくれた。
 京子さんは25日に幸男さんの遺骨を照子さんの眠る墓に納める。
 「2人をまた一緒にしてあげられる」

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