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今を生きる 鎮魂の夏(33) 幸せの記憶抱いて 遺影胸に前見つめ

律子さん(左端)宅で照美さんらの写真を見つめる榎内さん夫妻

 「長女夫婦や孫夫婦にはこれからの人生があったはず。どうして自分たちが生き残ったのか」。双葉町の榎内実さん(93)文子さん(90)夫妻はやり場のない思いを抱えながら、会津坂下町の次女猪俣律子さん(62)の嫁ぎ先でお盆を過ごした。
 浪江町に住んでいた長女の鈴木照美さん(68)と夫の澄夫さん(75)、同じ町内に住んでいた孫で照美さんの長女鍋島弥生さん(43)を津波で亡くした。弥生さんの夫の彰教さん(46)の行方は今も分からない。
 「照美は隣町からよく実家に来て、いろんな所に連れていってくれた。弥生ちゃんは高校生のころ、進路を相談しにやってきた。大人になってからは自分たちのことを気に掛けてくれた。あんなにいい子たちがなぜ...」。文子さんはその先の言葉が続かない。澄夫さんは浪江町請戸の伝統行事「安波(あんば)祭」で知られる苕野(くさの)神社の宮司として、地域の人たちに慕われていた。
 浪江町の請戸小に通っていた弥生さんの長女と長男は無事だった。榎内さん夫妻にとってひ孫の2人は神奈川県平塚市に住む父方の祖父母の家で暮らしている。この夏休みに会津坂下町の避難先を訪ねてきた時、真っ黒に日焼けし、元気そうな顔を見て少し救われる思いがした。「お父さんも、お母さんも、あなたたちを見守っているよ」。2人は心の中で励ました。
 できることなら代わってあげたかったとの思いを、あの日から引きずっている。原発事故で立ち入りできない古里には、幸せだった日々の記憶がたくさんある。
 「みんなで暮らした場所に少しでも近づきたい」と、2人は福島市の仮設住宅への入居を申し込んだ。いつか必ず古里に戻り、先立った長女夫婦や孫を供養し、孫の夫を見つけ出すことが残された自分たちの務めだと思っている。
 浪江町の農業高田マツイさん(78)は福島市の仮設住宅で、長男耕寿さん(53)の遺影に手を合わせた。「なんとか頑張ってるよ。見守っていて」
 震災前は長男夫婦と孫夫婦、ひ孫2人の7人でにぎやかに過ごしていた。津波で耕寿さんを亡くし、残された家族は今、いわき市で暮らす。家族に迷惑は掛けられないと仮設住宅に移り、お盆は1人きりで耕寿さんを送った。
 勤め先が休みの日は欠かさず農作業を手伝ってくれる親思いの息子だった。3年前に夫を亡くしてからは、大黒柱として一番頼りにしていた。
 震災発生時、耕寿さんと2人で自宅にいた。電話で会社の状況確認に当たっていた耕寿さんを残し、知人の車で家を出た。家の車ですぐに避難すると思っていた。
 約1カ月後、津波に流された車中で遺体で発見された。「あの時、無理やりにでも車に乗せて一緒に逃げていれば...」と自分を責め続けてきた。
 耕寿さんは近所のお年寄りを車に乗せ避難しようとしていた。「人助けをしようとして死んだんだから、今ごろは天国にいるはず」。最近になってようやく現実を受け入れられるようになった。
 津波で家も夫の墓も流された。1人きりの仮住まいは寂しいが、長男と夫がいつも自分のそばにいるような気がしてならない。「早く息子の葬式を出し、夫と一緒に安らかに眠れるお墓をつくってあげたい」と願う。
 仮設住宅での新しい生活では、同じ地区から避難した顔なじみと茶飲み話をするのが一番の楽しみだ。前を向いてしっかりと生きていく。小さな額に納めた耕寿さんの遺影に誓った。
 =「鎮魂の夏」はおわります=

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