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「3.11大震災・福島と原発」アーカイブ

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【共生の功罪5】受け入れ準備奔走 用地交渉難航せず

 昭和37年に大熊町長に就いた志賀秀正は、町内への原子力発電所の立地が最終決定すると、受け入れ準備に奔走した。
 東京電力の社宅用地買収の際の出来事だ。夜が明けて間もなく、地権者が部屋のカーテンを開けると、外にがっちりとした体格の男が立っている。「町のために協力してほしい」。志賀だった。「町長の朝駆け」は1週間続いた。

■県と町が共同
 原発の建設用地の買収交渉は38年12月に始まった。このうち、町民ら地権者約90人が所有する約97万平方メートルを、県開発公社が町と共同で交渉を担当した。東電が県に用地取得のあっせんを依頼し、県は公社に買収させることで受託した。残りの99万平方メートルは国土計画興業(のちのコクド)の所有地で、東電が直接交渉した。
 志賀は原発に町の将来をかけた。「これから町は良くなっからな。一番大事なのは働く場、そして安定してなきゃ駄目なんだ」。親交のあった町内の会社役員長沼勝己(73)は当時、志賀の強い思いを本人から直接、聞いた。
 志賀は原発建設の関係者や知人らと、毎日のように酒を飲んだ。「原発がくれば電気代がタダになる」。酔うと大きな体を揺らして朗らかに笑う町長は住民に愛された。
 町長に就任する前、収入役を務めた。町の会計を管理するよりも、町政に必要な金策に追われる苦しい日々だった。職員の給料日が近づくと、近隣町村の商店や資産家を訪ねては金を工面してもらった。厳しい町の財政を安定させることも原発への期待となった。
 原発の建設用地交渉は難航することなく、着手から1年足らずの39年11月27日にまとまった。当時はまだ、原発の反対運動はほとんどなかった。

■町にお金が入る
 原発の建設が進んだころ、志賀はテレビの取材を受けた。「これで町にお金が入る」。この発言が放映されると、建設現場で働く東電社員の一部が反発した。当時、東電で働き、後に町長に就く長男の秀朗(80)は語る。「社員にしてみれば国の発展のためにつくる、という考えだったようだ。おやじは金に苦労したから、金のことがつい口に出たのだろう」
 福島第一原発は46年に1号機が営業運転に入り、その後の8年間で6号機までの全てのプラントが発電を始めた。海沿いの貧しい町は国内有数の原発立地地域に変貌を遂げた。その姿を見届けた志賀は、6号機が営業運転に入った54年、5期目の任期途中で、町内の病院で他界した。(文中敬称略)

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