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絆探して(23) 支所設置に賛否両論 職員も家族と離れ離れ

福島支所の開所式に臨む職員。大橋課長(前列左)も家族と離れた生活が続く=28日

 すぐ戻れる―と思って古里を離れて200日以上。緊急時避難準備区域が解除されるなど自治体の置かれた状況は少しずつ変化している。一方で仮設住宅などでの不自由な住民生活は固定しつつある。避難自治体で唯一、県外の埼玉県に役場機能を置いた双葉町が28日、郡山市に支所を開き新たな局面を迎えた。ただ町にとっても、住民にとっても将来の輪郭をはっきり描ける段階ではない。住民の気持ちをどうつなぎとめ、未来を展望すればいいのか。大きな壁を前に苦悩する自治体の姿を追う。

開所の日、訪れる町民はわずかだった。

 町福島支所が設けられた旧仙台食糧事務所郡山支所での開所式には井戸川克隆町長(65)をはじめ職員、町議らが出席した。簡単なセレモニーの後に業務がスタートした。県内の本格的な行政窓口の設置はこれまで議会をはじめ多くの町民が要望を続け、ようやく実現した。しかし、町民からは「ようやくだ」「いまさら」と賛否両論がある。
 「(支所の開所は)遅かったと思うが、あった方がいい」。8月に避難先の山形県から移り、妻、母と郡山市の仮設住宅に暮らす高村博さん(63)は多少、心強く感じている。これまで町からの情報提供は乏しく、支所が開所する日も知らなかった。「今までほとんど町の情報がなかった。支所ができて改善されれば」と願う。一方、同じ仮設に住む40代の男性は「今ごろできても仕方がない。もう証明書の発行を受けるなどの用事もない。(支所が)あってもなくても一緒ではないか」と冷ややかだ。
 福島支所に配属されたのは全部で約80人いる町職員のうち4分の1の20人。「多くの町民が待ち望んでいた。各班が協力して期待に応えたい」。総務班長として支所の責任者を務める大橋利一産業振興課長(58)は力を込める。
 大橋課長は原発事故後、一緒に住んでいた母親、妻、次男と共に埼玉県へ避難した。体調を崩した母親は間もなく埼玉県内の介護施設に入り、妻は仕事の関係でいわき市に移った。富岡町に住んでいた長男もいわきに落ち着いた。大橋課長と次男は役場機能を移した同県加須市と狭山市で、それぞれ借り上げのアパート暮らしを続けていた。
 9月からは二次避難所の猪苗代町のホテルに設置された町連絡所に駐在していたが、福島支所への異動で今度は郡山市に移った。

慣れない単身生活で食事は外食や弁当が続く。

 家族との会話のない日々は味気ない。母親が弱ったのは避難が負担になったためだと思う。休日は母親に面会するため片道約2時間半の道のりを車で行き来することになる。
 猪苗代では住民票や被災証明発行で日数がかかることなど町民の不満を直接感じていた。「一人暮らしは大変だが少しは慣れてきた。業務も自分の生活も、しばらくはバタバタするだろうが、少しでも良くなるように前向きに進むしかない」。疲れなど感じている暇はないと思っている。
 加須市に家族を残して福島支所に異動になった別の職員は「境遇は(多くの町民と)皆同じ。町民のために働くのが仕事なのだから、とにかく一生懸命やるだけ」と気持ちを奮い立たせる。「町が最終的に県内に戻る時期は分からないが、県内に戻る先陣として土台づくりをしたい」と語る職員もいる。
 井戸川町長は開所式で「今の状況は長く続けられない。みんなとどこかに集まり、町がきれいになったら帰る。それまで町民一体となって頑張りたい」と、感極まった顔であいさつした。
 原発事故による避難自治体で唯一、県外に活路を求めた双葉町。どの自治体も経験したことのない事態の中、答えの見えない模索が続く。

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