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【立地の遺伝子3】建設へ知事画策 政治生命懸けたが...

 東京電力福島第一原発事故をめぐるニュースが連日、続く。福島市の元県職員(85)は秘書として身近で仕えた知事、佐藤善一郎の最期を思い浮かべた。
 「亡くなる直前まで原発を気に掛けていた。知事の悲願だった。なぜ、こんなことが起きてしまったのか」。原発建設に政治生命を懸けた佐藤の熱意、そして想像だにしなかった半世紀後の事故-。そのはざまで元職員の心は揺れる。
 昭和39年3月、元職員は東京都内の病院に泊まり込んでいた。入院中の佐藤の病状は思わしくない。真夜中、呼び出しを受けた。「地図を持ってこい」。佐藤はベッドの上に福島県の地図を広げ、浜通り地方に視線を注いだ。
 息を引き取ったのは、その3日ほど後だった。大熊、双葉両町にまたがる福島第一原発の用地買収が本格的に始まろうとしていた。

■次は原子力
 佐藤は32年の知事就任後、上京を重ねた。官公庁や企業を回り、陳情や情報収集に努めた。
 中でも、梁川町(現伊達市)出身の東電社長、木川田一隆は別格だった。東京・内幸町の東電本店には出向かない。休日を選んで、千葉県市川市にある木川田の自宅を訪ねた。早朝、東京・渋谷の宿舎から公用車で2時間ほどの道のりをたどった。
 応接間に通され、ソファで1~2時間程度、話し込む。木川田が趣味としていた海釣りのしぐさを見せるような、ざっくばらんな雰囲気だった。
 ある日、帰路の車中で佐藤はつぶやくように語りだした。「水力の次は原子力だ。何としても原発を双葉郡に誘致し、豊かにしたい」
 佐藤の伝記「水は流れる」に元県幹部の手記が残る。佐藤は就任翌年の初め、双葉郡への原発立地の適否を調査するよう、ひそかに職員に命じた。当時は原子力を原爆と重ね合わせる意見もあった。県政の将来を左右する一大事業だった。

■不毛の原野
 35年5月、県は日本原子力産業会議に加盟した。立地調査で建設候補地を固め、佐藤は自ら現地に出向いた。不毛の原野を前に佐藤は「うーん」とうなるだけで何も話さない。周囲を確かめるように何度も見回していた。
 そのころ、佐藤は東京・広尾の高級住宅地にある豪邸を訪問した。あるじは衆院議員で西武グループ創業者、堤康次郎。堤の国土計画興業(後のコクド)は建設候補地の多くを所有し、かつて塩田事業をしていた。「よく話を聞いてくれた」。会談後、堤と一緒に応接室から出てきた佐藤の満足げな表情を元秘書は覚えている。
 東電は39年11月末、福島第一原発の建設計画を発表する。翌月、県議会本会議に佐藤の姿はなかった。半年前に佐藤の後を継いだ木村守江が計画を報告していた。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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