東日本大震災アーカイブ

【立地の遺伝子4】増設、大丈夫か 安全の誓いむなしく

陸揚げされる福島第一原発1号機の原子炉。昭和46年3月に営業運転を開始した

 「原発は県土開発促進に大きな力を加える。誠に喜びに堪えない。一層、建設事業に協力してまいりたい」。昭和39年12月8日、定例県議会初日の本会議。知事木村守江は東京電力が正式に発表した福島第一原発の建設計画を報告した。
 前知事佐藤善一郎の急逝を受け、衆院議員から転身、5月に知事に当選して約7カ月が過ぎていた。原発建設は木村にとっても長年、温めていた夢だった。

■心情を吐露
 木村は参院議員時代の30年8月、フィンランドの首都・ヘルシンキで開かれた列国議員会議に日本の議員代表として出席した。そこで原子力の平和利用を学んだ。この時の経験を基に双葉郡に原発を建設できないかを考え始めた-と、自伝「続 突進半生記」に記している。
 32年正月には双葉町で開いた自身の後援会の会合で支持者に訴えた。「この土地が広大で、住宅もなく放置されているところに値打ちがある。全部を利用するには原発しかない」
 知事に在職中の45年ごろ、富岡、楢葉両町にまたがる福島第二原発の用地買収が住民の反対運動に遭って難航した時期があった。
 木村は担当職員を知事室に呼び出し、心情を吐露した。「双葉郡を裕福にしたい。知事になってそればかり考えている。そんな気持ちを酌んで、何としてでも成功させてくれ」。ハッパを掛けられた職員は、県の外郭団体・県開発公社(現県土地開発公社)に属していた。用地買収の実動部隊だった。

■敷かれた線路
 昭和40年代後半、東京・内幸町の東京電力本店の会長室。木村は梁川町(現伊達市)出身の東京電力会長、木川田一隆に原発の増設を続ける方針への疑問を唱えた。「このまま突き進んで、県民の安全は大丈夫か」。すでに46年3月に福島第一原発は1号機が営業運転を開始し、2~6号機も計画が進んでいた。
 木川田は「原子力発電は危なくない。何かあれば自分が腹を切る」と言い切った。「分かった」。木村はうなずいた。県東京事務所長だった佐藤宗光(85)=福島市=が同席していた。木村は後に佐藤に漏らす。「線路は敷かれている。今さらひっくり返せない」
 木村は原発の安全性について自分で書いた図解を使って県民に説明するようになった。
 「医師でもあった知事は独自に勉強したと聞いた。十分に納得したんだろう。だが、40年たって、まさか原発が事故を起こすとは...」。佐藤は木川田が木村に誓った言葉と、事故の現実との落差を今、埋めきれないでいる。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発