東日本大震災

「3.11大震災・福島と原発」アーカイブ

  • Check

【立地の遺伝子5】用地買収に実動部隊 公社、県出向者が大半

 県の災害対策本部が置かれた県自治会館には連日、国や県、東京電力などの関係者が慌ただしく出入りする。会館には県の外郭団体や、手狭な県庁から移った部署が間借りしている。6階の一室に置かれた県土地開発公社の事務室。常勤の役職員が3人いるだけで、災害対策本部とは対照的にひっそりとした雰囲気が漂う。

 公社は昭和35年、県開発公社として発足し、48年に「公有地の拡大の推進に関する法律」に基づき、県土地開発公社に改編された。県内の地域開発のけん引役として道路や工業団地などの大規模な土地の取得を手掛けた。かつては職員80人余りが働く大きな組織で、出先事務所を抱えた時期もあった。

 県が公社を見直す方針を決めたのは平成17年3月。新規事業は凍結され、継続事業が終了した時点で解散することになった。現在の業務は工業団地1カ所の分譲と債権管理を残すだけだ。

■事業第1号

 公社の発足準備が進む中、ちょうど飛び込んできたのが、原発の建設構想だった。公社設立30周年記念誌に当時の様子が記されている。双葉郡への原発誘致を打診する県に対し、東電は「県が挙げている候補地で、原発の運転に必要な地下水が出るなら立地を考えてもいい」と返答した。

 県は開発公社の資金を使った地下水調査を決めた。着手は35年11月。公社設立の翌月で、事業第1号だった。

 県は企業誘致に向けて工業用地を造成し、観光施設を整備することで県土開発を進めようとしていた。地価が上昇を続けていた時期だった。

 「お役所仕事」では資金の出し入れや手続きに時間がかかる。議会の承認が必要な場合もある。そうこうしているうちに、土地の価格が上がったり、県以外の希望者に先を越されたりする。交渉がまとまれば、金融機関から資金をすぐに借り入れなければならない。県にとって、機動力のある別組織が必要だった。

 原発誘致を目指す県の方針に沿って、公社は原発の用地買収に次々と取り掛かった。38年に福島第一原発の大熊町分、40年に双葉町分、44年には福島第二原発に着手した。東北電力が計画した浪江・小高原発の用地買収も一時、引き受けた。

■実態は"子会社"

 公社の職員の多くは県からの出向者で占められた。設立当初は独立した事務所がなく、県開発課の部屋で課員が公社職員を兼ねた。その後、公社採用の職員を入れたが、必要最小限に抑えられた。

 高度成長に列島改造ブームが加わり、県内に地価高騰の動きが押し寄せた。工業団地、高速道路、ダム、空港...。次々と大規模プロジェクトの用地買収を手掛けた。県の事業を肩代わりする実動部隊は、法律や制度の上では別組織とはいえ、実態は県の方針通りに動く「完全子会社」だった。

 常務理事兼事務局長の横山公一(61)は「原発建設も県と一体で推し進めた。公共事業が減り、地価は下落を続けている。時代の流れで組織の意義は薄れた」と話した。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

「3.11大震災・福島と原発」の最新記事

>> 一覧

東日本大震災の最新記事

>> 一覧