東日本大震災

「3.11大震災・福島と原発」アーカイブ

  • Check

【立地の遺伝子7】高給の仕事、視察旅行 活況が「不信」消す

福島第二原発が建設される前の現地は海岸沿いに断崖が続いた(東京電力提供)

「東電に口を利いてくれないか」
 昭和45年春から東京電力福島第二原発の用地買収が始まった。現地で交渉に関わった元県職員、小林輝男(85)=福島市=は、地権者会から、住民の仕事探しを頼まれる機会が徐々に増えたことを覚えている。
 既に第一原発の建設工事が本格化し、大勢の作業員が必要となっていた。作業員には、かつて地元で考えられないような高い日当が払われた。出稼ぎに行っていた住民が古里での職を求めて相次いで戻る。小林は地権者の希望に添う仕事を東電に掛け合った。

■満足感

 原発建設が始まるまで、双葉地方には働く場所がほとんどなかった。農業に取り組もうにも、沿岸の水田は深刻な塩害に見舞われた。米の収穫量は、米どころの会津地方の半分に満たない場所もあった、という。
 小林は、他県の原発を視察するツアーを企画した。一週間程度の日程で地権者約150人を引き連れた。費用は全て東電持ちだった。
 原発への理解を促すという名目だったが、途中、大阪で開催中の万国博覧会に立ち寄る。会場には、福島第一原発より一足先に営業運転を開始した日本原子力発電敦賀原発1号機から電気が送られていた。
 双葉地方の住民から出ていた「原発は恐ろしいもの」という声は、原発が生んだ活況に次第にかき消されていった。「住民は『原発さまさま』と思うようになった」。小林は当時の雰囲気をこう表現した。
 46年春、福島第二原発の用地買収が全て終了する。小林は部下に頭を下げ、手をついて礼を言った。「こんな大仕事をしたんだ。あんたら、いばってもいいぞ」。原発の用地買収ほど自らの公務員生活の中で満足できた仕事はないと確信した時だった。

■会長退任

 福島第一原発事故から約7カ月後の10月中旬、県庁に隣接する杉妻会館で、県の税務職員OBによる親睦団体の総会が開かれた。
 小林は、それまで務めていた会長を辞めることを申し出た。退任あいさつの中で、全力を注いだ用地買収に触れた。かつて、誇りを抱いた仕事に今は胸を張れない。「原発事故で県民の皆さんが大きな苦労をしている。それが自分の気持ちを痛めつける」(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

「3.11大震災・福島と原発」の最新記事

>> 一覧

東日本大震災の最新記事

>> 一覧