東日本大震災

「3.11大震災・検証」アーカイブ

  • Check

【極限状態 命救う】県警、必死の誘導 原発事故 

福島第一原発から半径10キロ圏内の浪江町請戸地区で行方不明者を捜索する県警察官=4月14日

■3月11日

【午後9時30分ごろ】

 双葉署員が派遣された双葉町には「原発が危ない」との情報が入ってきていた

 「圧力容器の圧力が高くなり通常の倍以上になっている」。署員は双葉町役場から情報を随時、署に伝えていた。

■3月12日

【午前5時44分】

 避難指示区域が第一原発の半径3キロ圏から10キロ圏に拡大された

 午前9時ごろ、双葉町役場は避難住民であふれていた。「どこに避難すればいいんだ」。住民は口々に署員に尋ねてきたが、どう答えていいのか分からなかった。
 双葉署は管内の住民がどのぐらい残っているか確認をしていた。双葉町には車で移動する人や歩いている人がいた。署員が「早く西へ、山側へ逃げて」と言うと、1人の女性が「車がないんです」と訴えた。署員は避難する住民の車を止め、「この女性を乗せてください」と頭を下げた。避難場所だった双葉北小でも避難を呼び掛けた。
 午前9時すぎ、双葉町に東電社員から「1号機でベントをする」との情報が伝わった。午前10時すぎにベントへの作業が始まった。防災無線とスピーカーで「早く逃げて」という内容のアナウンスが響いた。

【昼ごろ】
 県警は双葉署浪江分庁舎に「双葉厚生病院の入院患者を至急避難させよ」と指示を出した

 双葉町の双葉厚生病院は第一原発から3キロほどの距離にある。双葉署浪江分庁舎の地域交通課地域二係長の横山昭幸(49)は1人車に乗り込み、病院に向かった。災害警備本部の指示は、病院近くのヘリポートと搬送車両の確保だった。
 医師に患者らを避難させることを説明したが「無理に運べば死んでしまう」と断られた。説得を重ね、最終的に病院側は患者らの避難を了承した。
 ヘリポートは病院から1キロ離れた双葉高にすることにした。横山の母校だった。双葉高に車を走らせ、着陸できることを確認し、災害警備本部に無線で伝えた。
 病院に戻る途中、横山は双葉町役場に立ち寄った。自衛隊が待機していた。責任者に「(双葉厚生病院からの)救助を手伝ってほしい。原発の近くで至急対応しなければならない」と訴え、了解を取り付けた。
 町長の井戸川克隆に「自衛隊の協力によって搬送手段が確保できた。病院も了承した」と説明した。井戸川も応じた。「分かった。避難させよう」
 自衛隊を誘導し双葉厚生病院に戻った。署員も数人が応援に来た。病院にはたくさんの患者がいた。寝たきりの重症者だった。自衛隊の車は病院と双葉高を何度も往復した。「自衛隊がいなければ搬送できなかった」

「至急、至急」を連呼

【午後3時36分】

 第一原発1号機水素爆発


IP110316KYD000132000_00.jpg
米シンクタンク、科学国際安全保障研究所が公表した、3月16日に撮影された東京電力福島第一原発の衛星写真。左から4号機、3号機、2号機、1号機。3号機からは白煙が上がっている(デジタルグローブ・ISIS提供)

 患者の搬送が続く双葉厚生病院。双葉署係長の横山昭幸は「バリバリ」という音を聞いた。雷が落ちたと思った。どこから聞こえたか分からなかったが、空を見ると青空だった。署員の1人が「原発が爆発した」と言った。
 場所を移って原発を見た。灰色の煙が風で流れていくのが見えた。無線を取った。
 午後3時37分、横山は無線に向かって叫んだ。「至急、至急。至急、至急。至急、至急」。緊張は頂点に達していた。災害警備本部に「爆発したような音がした」と一報を入れた。
 白っぽい綿ぼこりのような物が空から降ってきた。こぶし大の大きさで、ふわふわしていた。断熱材のような物だった。「終わったな。死ぬかな」と思った。
 だが、患者の避難は終わっていなかった。任務の途中だと言い聞かせ、患者を車両に急いで乗せ続けた。施設から出ていない人は屋内に退避させた。停電で手動になっていた自動ドアを閉め、ガラス越しに「後でまた来るから」と約束した。「本当に心苦しかった」
 至急報は、他の警察官が無線のやりとりをしていても会話をやめて聞く。周辺の病院や老人介護施設、知的介護施設などでは、双葉署員や機動隊、特別機動パトロール隊が患者搬送に携わっていた。ほとんどの警察官が横山の一報を聞いていた。
 第一原発爆発の状況が無線で伝えられていたころ、双葉高には患者と関連施設の入所者が200人ほどいた。全員が寝たきりや車いす利用者らだった。
 浪江町にいた特別機動パトロール隊長の佐藤実(52)は町内で住民の避難誘導をしていた県警機動隊員とバス1台を従え、午後5時すぎ双葉高に到着した。
 双葉高では患者が搬送を待っていた。自衛隊ヘリが二本松方面と往復する予定だったが、12日夜から13日昼ごろに1、2回来ただけだった。「待てどもヘリは来なかった」。佐藤は災害警備本部を通じて県にヘリの出動を要請した。
 13日夕、機動隊のバスで県相双保健福祉事務所との間を往復し、全員を搬送した。自衛隊員が1人残っていたが、一緒に行動した。

【午後3時40分ごろ】
 県警の災害警備本部は原発異常事態の一報後、爆発情報が相次いだ
 県警は県の災害対策本部、オフサイトセンター、東電福島事務所に「第一原発から白煙との情報が入った。情報が入っているか」と確認を求めたが、「把握していない」との答えが返ってきた。
 午後3時41分、緊急特別派遣で上空にいた神奈川県警のヘリから「第一原発から爆発音が聞こえた。灰色の煙が見える。200メートルぐらい上がっている」と無線連絡が入った。
 午後3時43分、本部長の松本光弘(50)が警察庁に連絡するよう指示。「官邸を通じて情報の確認をしてもらいたい」。官邸には危機管理センターがあった。各局長クラスや経産省、保安院などが集まり、情報が集約される。だが官邸からは「把握していない」という答えだった。
 午後3時45分ごろ、災害警備本部は横山昭幸に再度確認する。「状況をもう1度送れ」。横山は答えた。「内容は先ほどの通り。爆発音がして白い煙が上がり、白い綿ぼこりのような物が降ってきた」
 午後3時47分、第一原発の状況を県警ヘリ「あづま」が伝えてきた。航空隊長の横山安春らは、やや黒みがかった灰色の煙が北西方向に流れているのを肉眼で確認した。原発に近づくと、建屋の骨組みだけが見えた。

独自に判断、避難要請 患者、高齢者救出続行

【午後3時50分】

 県警は周辺住民の避難を要請した。依然、政府から原発爆発の公式発表はなかった

 本部長の松本は(1)署員が白煙を目撃(2)神奈川県警も白煙を目撃(3)県警ヘリが壊れた第一原発の建屋を目撃-との県警が収集した情報から、公表を決断した。
 福島署にいた県庁社会記者クラブの加盟各社に総務課広報官の金子堅1(59)が「県警の責任において、第一原発の周辺住民が避難してくれるよう報道を要請する」と伝えた。いなかった社には電話で要請した。午後4時、テレビ局がテロップで「県警からの指示で福島第一原発周辺の住民はすぐに避難」と流す。別の局は第一原発が白煙を上げている映像を流した。
 午後3時47分ごろ、災害警備本部は避難誘導に当たっていた一線署員らに「病人の避難誘導を行いながら早期に第一原発周辺から離脱せよ」と緊急無線を流した。だが、現場には避難を待つ患者がまだ残っていた。双葉、南相馬の両署員、機動隊、特別機動パトロール隊の隊員は避難しなかった。
 午後5時45分、ようやく官房長官の枝野幸男が「第一原発で何らかの爆発的事象があった」と発表した。

【午後】
 「浪江町の苅野小の機動隊バスにいる患者をスクリーニングのため県相双保健福祉事務所に搬送せよ」。県警は双葉署に新たな指令を出した
 双葉署係長の横山昭幸は寝たきりの10人ほどが乗ったバスを先導し、6号国道を南相馬市に向かって北上した。道路は寸断され、迂回(うかい)を重ね、たどり着いた。
 だが、県相双保健福祉事務所では患者らの引き受け手がいなかった。電話も使えず、近くの病院を直接回って「患者さんを預かってください」とお願いを始めた。
 どの病院も患者で埋まっており、次々に断られる。「人生で一番切なかった」。午後10時、横山はようやく南相馬市の渡辺病院から受け入れの了承を取り付けた。
 再び浪江町に戻り、逃げることができないお年寄りを捜し、パトカーに乗せては津島小や町の津島支所に連れていった。
 ラジオが原発事故の悪化を報じていた。「いよいよか」。だが、目の前には住民が残っている。「置いていくことなんてできない」

任務やり遂げる

■3月14日

【早朝】

 双葉署、特別機動パトロール隊は医療機関などからの患者搬送を続けた

IP110314TAN000232000_00.jpg
田村市のデンソー東日本に避難する被災者=3月14日
 特別機動パトロール隊長の佐藤は新たな指示で浪江町の特別養護老人ホーム・オンフール双葉に向かった。入所者ら約200人が残っていた。「救助要請をしているが、誰も来てくれない」。施設関係者は不満をぶつけてきた。14日夜から15日朝にかけて特別機動パトロール隊双葉分駐隊がバスで搬送した。  佐藤はその後、双葉署浪江分庁舎近くの西病院に向かう。そこにも数10人の患者らが残っていた。県警機動隊十数人で自衛隊ヘリに運び込んだ。4往復する予定だったが、ヘリは戻ってこなかった。  「亡くなった人も全員運んでくれ」。院長の訴えは切実だった。「生存者を優先させるためです」。何度も院長に避難するよう説得したが、拒否された。院長は何人残していくと一筆書くよう求めるほどだった。  佐藤は覚悟を決めた。機動隊のバスで南相馬市の県相双保健福祉事務所を3、4往復し、広域緊急援助隊に引き継いだ。亡くなった人も南相馬市の安置所に運んだ。全員を搬送後、院長から「お互い仕事をやり遂げることができた。ありがとうございました」と頭を下げられた。「本当の医者だ」と佐藤は思った。  福島署の臨時の通信指令室にいた通信指令室長の古川は可能な限りの交信記録をノートに書き留めていた。  ほとんどが双葉署員との交信記録だ。14日午後7時9分の走り書きは「双葉病院、今村病院、西病院」「医薬品が足りない」「介護施設付近で火災」と記載されている。  双葉署員が薬品店から点滴を入手し、患者を病院まで搬送したとの記録も残る。3号機爆発後も署員は現地に残り、住民や病院患者の避難誘導に当たっていた。

■3月20日

【午前11時1分】

 第一原発3号機が水素爆発。原発から20キロ圏に避難指示が出された

IP111228TAN000264000_00.jpg
浪江町請戸地区の被災地で合掌し犠牲者の冥福を祈る県警幹部=4月15日(県警提供)
 県警は放射線管理の知識を持つ警備関係者を中心に警備本部に放射性物質対処班を設置した。次いでモニタリングや現場の部隊の安全管理に関する支援を行うため安全管理サポート班を置き、随時増強した。  サポート班は警戒区域内の線量調査を進め、活動可能かどうかを調べた。その結果、県警の捜索部隊は4月3日に第一原発から20キロ圏内、4月14日から10キロ圏内に入った。  警戒区域での捜索が始まり、部隊員は犠牲者の冥福を祈りながら「一刻も早く家族の元へ」と第一原発に近づいていった。

カテゴリー:3.11大震災・検証

「3.11大震災・検証」の最新記事

>> 一覧

東日本大震災の最新記事

>> 一覧