農地は長泥10.50マイクロシーベルト、蕨平9.52マイクロシーベルト。
今月5日、地上1メートルの数字だ。飯舘村は独自に週1回、20行政区の宅地と農地の放射線量を計測している。原発事故から10カ月経過しても、浪江町と接する村南部の放射線量は高い。伊丹沢の新谷利男さん(58)、正代さん(56)夫妻は2ヘクタールで米を作り、ハウス6棟でキュウリを栽培してきた。正代さんは「いろいろ除染の実験をやっているけど、本当に農業ができるのか...。以前は飯舘ブランドで選んでもらえたが、敬遠される"逆ブランド"になった。売れないと思う」と除染効果に疑問を呈する。
農業が基幹産業の飯舘村で村民が帰還するには、住環境ばかりでなく農地や山林の面的な除染が必要になる。汚染土壌の仮置き場が決まらなければ除染が進まないため村は昨年8月、いち早く設置を表明し、昨年末には小宮地区の村クリアセンター隣の国有林約30ヘクタールに設置が決まった。
農林水産省は3月から土壌汚染濃度が異なる草野(1キロ当たり5000~1万ベクレル)、小宮(同1万~2万5000ベクレル)、長泥(同2万5000ベクレル以上)の3地区合わせて約30ヘクタールの農地で実証事業に入る。6月末まで表土剥ぎ、反転耕など土地に適した除染を行い、マニュアルを作る。
村の除染計画では、農地の除染終了は5年後。しかし、実際にいつ農業が再開できるかは不透明だ。冷涼な気候を利用した村特産のトルコギキョウやリンドウは「色が鮮やかで長持ちする」と人気があったが、口にするものでなくても消費者が選んでくれるか分からない。いつ、飯舘牛の飼育が再開できるかも分からない。伊丹沢で農業を営んでいた熊久保文夫さん(83)は「考えようもない。自分が食べる分を作るくらいしかできないのではないか」と見えない先行きを語る。
村農業委員会の高橋一清事務局長も「いつになったら飯舘ブランドを再生できるのか」と嘆く。確信を持って農業の未来を語れない。農業者自身の気持ちを知るため、新年度からは農業委員の協力を得て意向調査に入る。避難先での農地の紹介にも乗り出す考えだ。
「土地を買い上げてほしい」という意見も出た。
村が昨年10月から17回にわたって各地の仮設住宅などで開いた村民懇談会では、除染や帰還に関する村の考え方に対し「山林の除染は不可能ではないか」「放射線量の情報を隠しているのではないか」など厳しい意見が相次いだ。除去土壌は3年間で約130万立方メートルに上ると試算されている。住宅や田畑は除染できても、村面積の7割を超える約1万8700ヘクタールの山林の除染が可能かどうか、村民には想像がつかない。
村が見積もる除染費用は約3200億円。単純に計算すれば一世帯当たり1億5000万円以上になる。「除染は無理。世帯に分配して他市町村に避難したほうがいい」と極端な意見を言う村民も出てきている。
草野地区の住宅地では面的な除染の実証試験が進む。しかし、こうした除染が国直轄で行われることに対する疑問の声もある。
昨年暮れ、飯野出張所で国の除染事業の受け皿となる村組織立ち上げの準備会が開かれた。「国などに地元のことは分からない。村に裁量権を持たせ、役割を分担するべきだ」と菅野典雄村長は訴える。「除染を進めて村民に希望を見せるのが大切。雇用対策にもなる。村民が関わることで、いい除染ができる」と力を込める。
(カテゴリー:連載・原発大難)