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【「前線基地」の苦悩11】発生翌日「移転」の声 代替の南相馬、断念

オフサイトセンターの代替施設とされた県南相馬合同庁舎の会議室。地震で被災した天井の修復工事が行われている

 大熊町に設けられた原子力災害対策拠点・オフサイトセンターは窮地に追い込まれた。一般電話回線の不通や食料不足などに加え、東京電力福島第一原発の相次ぐ爆発などによって、センター内外の放射線量が急速に高まった。
 「事故発生翌日の3月12日ごろからセンターの移転が話題に上がっていた」。センターに詰めたスタッフ数人は証言する。震災発生後の早い段階で「センターは、いずれ持ちこたえられなくなるのでは...」との不安があったことを示す。

■スタッフの安全
 経済産業省原子力安全・保安院の原子力発電検査課長、山本哲也は震災発生から約9時間後にセンターに入った。政府現地対策本部長の経済産業副大臣、池田元久に同行し、センターの総括班責任者を務めていた。厳しい現実に直面し、何とか事態を打開しようと、あらゆる手だてを探り続けた。
 山本は「移転を実際に検討し始めたのは14日朝からだった。総括班責任者として、スタッフの安全を考えなければならない。線量が上がり『このままの状況でいいのか』と悩んでいた。東京(の政府)からも移転すべきか検討せよ、との話があった」と明かす。
 池田をはじめ、副知事の内堀雅雄、東電常務の小森明生、陸上自衛隊中央即応集団副司令官の今浦勇紀ら現地対策本部の幹部らが集まった。
 センターにいる百数十人と車両などを収容でき、通信手段も確保できる場所はないか-。避難指示が出ている福島第一原発から20キロ圏のすぐ外側に該当する施設は見当たらない。
 センターの運営要領には、北に約40キロ離れた南相馬市原町区の県南相馬合同庁舎が代替施設として定められていた。
 部屋は南庁舎4階の401と402、403号の各会議室。広さは3部屋合わせて387平方メートルだった。対策本部のあるセンター2階の615平方メートルに比べ、6割程度にとどまる。センターですら手狭だった。百数十人に上るスタッフが活動するのは到底、無理だった。

■空き室なし
 問題は広さだけではなかった。県南相馬合同庁舎には相双地方振興局などの県の出先機関が入っている。3月11日に震災が発生すると、振興局は地震、津波の被災情報の収集などに当たる対策本部を設置した。本部は、オフサイトセンターの代替施設とされた会議室で活動を開始していた。
 振興局の対策本部もセンターと同じく電話連絡にてこずった。一般電話回線、光ファイバーの防災無線がつながらず、衛星回線を使用した防災行政無線2回線と衛星携帯電話3台がフル稼働していた。仮にセンターが南相馬合同庁舎に移転したとしても、危機的な状況が続く原発の情報を得るテレビ会議システムの設置は難しい状況だった。
 「県庁に移転できないだろうか」。大熊町のセンターにいた内堀が提案した。県庁で100人以上を収容できる部屋は、限られた。しかも、庁舎そのものが被災している。
 だが、緊急事態が続く中で、選択肢は他に残されていなかった。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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