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【「前線基地」の苦悩12】真夜中 突然「県庁へ」 震災から5日で撤退

県庁本庁舎5階にある政府の現地対策本部。本来ならば、大熊町のオフサイトセンターで活動を続けるはずだった=7日

 県施設管理課長の黒田啓一は県庁から郡山市の自宅に帰るため、車を運転していた。震災発生から4日目の昨年3月14日から15日に差し掛かる真夜中だった。携帯電話が鳴り、車を止めた。部下の声だった。「県庁に戻ってほしい、と総務部長から連絡が入っています」。用件は告げられなかった。黒田はすぐに車の向きを北に変えた。
 「原発事故の対策本部が大熊町のオフサイトセンターから県庁に移る。受け入れ準備が必要だ」。与えられた役割を知ったのは、県庁に着いた後だった。県庁の庁舎管理は、黒田が課長を務める施設管理課の受け持ちで、総務部長の指揮命令下にある。部長の村田文雄は「センターから先遣隊が突然、県庁に来た。すぐ会議室を確保してくれ、という申し出だった」と記憶をたどる。真夜中で驚かされたが、緊急事態の中で即座に応じた。黒田ら担当者を呼び出し、電話やコピー機の設置に取り掛かった。

■先遣隊
 大熊町にあるオフサイトセンターが使用不能の場合、代替施設は約40キロ離れた南相馬市の県南相馬合同庁舎とすることが事前に定められていた。だが、合同庁舎の会議室が手狭である上、合同庁舎に入っている県相双地方振興局が震災全体の現地対策本部として既に使用していた。
 残されたのは県庁だけだった。100人以上を収容できる部屋は、本庁舎5階の正庁と西庁舎12階の会議室しかない。西庁舎は8階以上のフロアが全て停電していた。
 正庁には過去の原子力防災訓練で県の対策本部を置いたことがある。大熊町のセンターに比べ、電源や電話回線などの設備は格段に改善される。県庁近くにある東京電力福島事務所を経由し、原発の状況を知るテレビ会議システムが使用できることも分かった。
 大熊町のセンターにいた政府の現地対策本部長、経済産業副大臣の池田元久は14日夜、副知事の内堀雅雄らのスタッフを先遣隊として県庁に向かわせた。
 池田は東京にいる経済産業相の海江田万里に電話した。海江田から移転への異論はなかった。
 池田は避難指示区域内に住民が残っていないか確認するよう求めた。「一番大事なのは住民の安全。住民を置いて移動するわけにはいかない、と厳しく言った」と振り返る。
 15日朝になり、池田は海江田に再び確認の電話を入れた。海江田は「池田さん、まだ(オフサイトセンターに)いるの」と問い掛けた。「住民を残したままで、ここから移転はできない」と答えると、海江田は「池田さんらしい」と応じた。午前9時半、県庁への移転が正式に決まった。
 対策本部は病院、施設などに残っている住民の確認を進めた。県相双地方振興局から派遣された住民安全班責任者の高田義宏は警察官と一緒に、センター近くにある双葉病院へ向かった。「既に救助は終わったとの連絡を受けていたが、まだ残っているようだ、との話になった」。高田らは全ての病室を回って患者の人数などを確認した。到着した自衛隊にその情報を伝え、患者の救助や避難、搬送を託した。
 「救助完了」との報告を受けた池田は、センター移転にゴーサインを出した。15日午前10時59分、スタッフを乗せた車列が約60キロ先の福島市へ向かった。福島第一原発から約5キロにある大熊町の施設は事実上、閉鎖された。震災発生から5日目だった。

■混乱の跡いまだ
 対策本部は今、臨時のオフサイトセンターである県庁本庁舎5階で指揮を執る。「3・11」から間もなく1年がたつ。大熊町のセンターは2日、報道陣に公開された。原発事故の状況を示すメモ書きや資料、飲みかけのペットボトルなどが、ほぼ当時のまま残されている。持ち出す物を選ばざるを得なかった撤退の慌ただしさを物語る。対策本部が現地に戻る見通しは立たない。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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