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【「前線基地」の苦悩13】現地復帰求める声も 国、当面は県庁で対応

小沢氏が昨年5月下旬に訪ねたときのオフサイトセンターの入り口付近。段ボールやビニールが散乱していた

 玄関での問い掛けに返答はなかった。昨年5月下旬、大熊町のオフサイトセンターに県議、小沢隆の声だけが響いた。東京電力福島第一原発事故の政府現地対策本部がオフサイトセンターから県庁に移って2カ月余りが過ぎていた。
 小沢は会津坂下町が地元で、平成7年の県議選・河沼郡選挙区で初当選した。4期目のベテランとして県政に幅広く注文を付けてきた。震災発生直後から県内各地の被災地を訪れ、被害状況を調査した。その際に撮影した写真や資料を県議会内の自らの控室前に張り出し、議員や県職員の関心を集めていた。
 小沢は許可を得て、警戒区域に入った。保安や管理のために、センターには当然、誰かいると思って声を掛けたが、もぬけの殻だった。施錠された玄関のガラス越しに、散乱する防護服や段ボール、ごみなどがのぞく。置き去りにされた線量計の音も伝わってきた。「これが原子力災害対策の前線基地か」。驚きと失望を隠せなかった。

■疑問 解消されず
 小沢はオフサイトセンターに赴く10日前、臨時県議会の全員協議会で質問に立った。「センターは現地事務所として活用し、退避すべきではなかった。(県庁に移した機能を)現地に戻すことが最優先だ」。小沢は撤退を厳しく批判した。
 県議からは賛否両論が出ていた。小沢の意見に賛同し、「せめて浜通りに機能を戻すべき」という意見もあった。一方、センター周辺の放射線量が高くなり、停電などで役割が十分に果たせない状況に「やむを得ない」とする県議もいた。
 小沢の質問に答弁したのは、県の現地対策本部長として震災発生直後からセンターに詰めた副知事の内堀雅雄。「放射線量が高いことに加え、地震直後からの一般(電話)回線の不通、緊急時連絡網の障害、さらに電源などが十分回復せず、円滑な業務遂行が困難になっていた」と説明した。内堀は「現時点での状況でしっかりとした対応をしていくことが何よりも重要」と答え、現地への復帰に否定的な県の方針を示した。
 小沢の疑問は解消されなかった。「このような事態に備えて造られた施設のはずだ。なぜ県庁に移さなければならなかったのか」
 5月30日には6月定例議会を前に、各会派が政調会を開いた。小沢はセンター視察の結果を基に質問を繰り返した。

■通常の範囲内
 小沢は6月11日に再び、センターに向かった。電気が復旧したかどうかを自ら確認することが目的だった。電気は回復していた。ふと、建物の外にある環境放射線モニタリングポストの表示を見上げた。
 電光掲示板には「現在の空間線量率は通常の変動範囲内」との文字が示されていた。「放射線量に問題はない。国、県にセンターに早く戻ってほしいと言いたかった。対応できる機器はそろっているはずなのに...」。
 小沢は昨年11月、4期目の任期満了で退任した。「現地対策本部が大熊町から県庁に移り、原発事故の現場と、その周辺の地域で今、何が起きているかを、しっかりと把握する手段を失ったのではないか」と考え続けている。
 国は「警戒区域の中では被災者支援が十分にできない。県や市町村と連携して対応できる県庁で今後も取り組みたい」として、当面は県庁に本部を置き続ける考えだ。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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