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【「前線基地」の苦悩15】場所選び、地元任せ 手狭な敷地に建設

空間線量の測定などに当たる大熊町の県原子力センター。隣接するオフサイトセンターと一体となって原発事故に対応した

 対岸の火事で済まされる事故ではなかった。平成11年9月30日、茨城県東海村のジェー・シー・オー(JCO)東海事業所で臨界事故が発生した。
 「本県で同じような事故が起きる可能性はないのか」。県幹部が担当部署に次々と指示を出した。事故直後から担当者会議を何度も開き、原子力防災の計画や態勢などの検証を進めた。消防防災課や原子力安全対策課などの関係部局の職員は「県庁内が大騒ぎになった」と語る。
 JCO臨界事故は、2人が死亡し、663人が被ばくした。国内で進められてきた原子力開発の歴史の中で、最悪の出来事だった。本県の東京電力福島第一、福島第二の両原発には合わせて10基の原子炉がある。だが、国も県も市町村も、県民生活や県土全体に深刻な影響を与えるような過酷事故に十分な備えを用意していなかった。

■国が造るが...
 臨界事故を受け、国、茨城県、東海村、事業所はそれぞれ対策本部を設けた。しかし、それぞれの本部間で情報共有に甘さがあり、住民への広報や住民の安全確保に課題を残した。
 この反省を踏まえ、国は事故から9カ月後の平成12年6月、原子力災害対策特措法(原災法)を施行した。全国の原子力関連施設が立地する地域に、関係機関が一堂に集まる施設の建設に着手する。後にオフサイトセンターと呼ばれる施設だった。
 当時、本県の消防防災課に勤務した西方薫(61)は国からオフサイトセンター建設の説明を受けた。「センターそのものは国が造るが、立地場所の土地は地元で用意してほしい、との内容だった」と記憶している。
 県は、東電福島第一原発が立地する大熊町や双葉町の県有地を洗い出した。絞り込まれたのは、大熊町中心部の県原子力センターに隣接するテニスコートだった。移転前の県立大野病院や県環境医学研究所などの施設と同じ敷地にあった。各施設にはホールボディーカウンターなど放射線関係の設備が整っていた。被ばくなどが発生した場合、除染から、けがの処置まで迅速に対応できる利点があった。西方は「ここしかない、という形で、県の段階での話し合いは自然と進んだ」と、異論はほとんどなかったことを思い出す。

■身動きできない
 立地場所の選定は順調だったが、敷地そのものは狭かった。
 完成したオフサイトセンターは鉄筋コンクリート造り2階建てで、延べ床面積は1230平方メートル。青森県などのセンターに比べると手狭だった。本県の総務部長の村田文雄は原子力安全対策グループリーダーを務めていたとき、原子力防災訓練でセンターに駆け付けた。「訓練参加者や、取材に来た報道機関の関係者が建物に入ると、身動きができなくなるぐらいだった」と狭さを表現した。村田は「事故が起きて対応する場合は、センター内での報道機関の取材方法などを十分に検討しないと、対策本部の円滑な活動に支障が出ると思った」と振り返る。
 センターが建設されたころ、県消防防災課に勤務した職員は「敷地の大きさに合わせて、建物を設計し、建築するしかなかった」と明かす。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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