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【「前線基地」の苦悩18】建設、運営で擦れ違い 県、国話し合い少なく

オフサイトセンターの開所で、施設や設備を確かめる各機関からの出席者=平成14年4月1日

 「原子力災害が発生した場合に『緊急事態応急対策拠点施設』として使用することを目的として、福島県と国が協力して整備したものです」
 県が作成した大熊町のオフサイトセンターのパンフレットには、県と国が一体的にセンターを整備し、事故に対応する考え方を盛り込んでいる。
 センターには経済産業省原子力安全・保安院の保安検査官事務所が入居し、普段は東京電力福島第一、福島第二の両原発の検査や運転監視に当たった。
 また、国の原子力防災専門官が常駐し、万が一の際の初期動作に素早く対応できるように備えた。緊急時には国や県、地元の町、警察、消防、東京電力、専門家などがセンターに集まり、合同対策協議会が設けられる仕組みだった。
 しかし、センターの建設や運営をめぐっては、当初から県と国との間に微妙な擦れ違いが生じた。

■押し付け
 かつて県の防災部門に籍を置いた職員OBの1人は「センターの建設は、国から押し付けられた事業のように感じた」と振り返る。
 原子力災害対策特措法は、国が原発などの原子力事業所ごとにオフサイトセンターを指定することを記している。
 「テレビ会議システムなどの設置」「床面積の合計は800平方メートル以上」「施設内における被ばく線量低減の措置」-。特措法の施行規則には、センターが備えるべき設備を細かく挙げている。また、センターの設置場所は規則の中で「原子力事業所との距離が20キロ未満に設置」とされたが、国が立地地域に出した具体的な指示は「10キロ圏内」だった。
 県は国の方針に沿って用地を探し、設計・施工に当たった。建設費などの費用は国が交付金で全額を手当てした。完成したセンターの所有者は県であり、管理者も県とされた。その上で、国が法律に基づき、その施設・設備をオフサイトセンターに指定する形をとっていた。
 「原子力政策は国策であり、最初から最後まで国が責任をもってセンターの建設に当たるのが筋ではないか」。国がセンターの設置構想を明らかにした当時の県側の受け止めだった。県の担当者は「施設の使い方をめぐって県と国が積極的に話し合う機会は少なかった」と記憶している。
 その一方で、平成12年から13年にかけては、県の防災行政の中で、センターの建設・運営は優先度が低くならざるを得ない事情もあった。防災や危機管理などの分野で県が緊急の対応を迫られる事態が相次いだためだ。
 12年8月に磐梯山で小規模な噴火の可能性が指摘され、臨時火山情報が観測史上初めて出された。13年9月に西郷、天栄の両村にまたがる地域で陸上自衛隊の砲弾誤射事故が起きた。その4日後に米中枢同時テロが発生した。県の危機管理体制の在り方が問われ続けた。消防防災課に勤務した職員は「対応は手一杯だった」と明かす。

■課題、現実に
 14年4月1日、オフサイトセンターは開所し、その後、年1回の県原子力防災訓練などのさまざまな訓練を繰り広げた。「対策本部に置かれる7つの機能班はどう動くのか」「どのように情報を収集し、国や県に連絡するのか」-。
 訓練が終わると、独立行政法人原子力安全基盤機構などの第三者機関が評価し、問題点を指摘した。訓練に参加した各機関や住民もオフサイトセンターの設備・運営、避難方法などへの疑問を出した。その中には、福島第一原発事故で現実となった数々の課題が含まれていた。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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