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帰還/広野からの報告(33) 元通りの営業遠く 「帰りたい」が、越せぬ壁

帰還に向けさまざまな思いをめぐらせながら料理店を再開させた坂本さん

 広野町は1日に役場機能を町内に戻し、4月からは町民の帰還に向けた取り組みを本格化させる。しかし、除染や生活の基盤などさまざまな条件が整うかは不透明だ。ある程度整っても、町民が町に戻る決断をする前にはさまざまな不安の壁が立ちふさがる。働く場、医療、安全などは確保されているのか。現在、町に住むのは約250人。町外で暮らす約5300人は「帰れそうで帰れない古里」を遠く見詰めている。

 役場が町内に戻っても町の雰囲気はさほど変わらない。

 広野町内の6号国道は朝晩、原発などに向かう車で渋滞することがある。しかし日中、歩いている人を見掛けることは少なく、夜に明かりを付けている家はまばらだ。昼は広野町で働き、夜はいわき市内に戻る「半町民」の生活スタイルが定着している。
 広野町折木の6号国道沿いで坂本賢一さん(57)が経営する料理店「和風みさか」は、今も夜の営業はできない。緊急時避難準備区域が解除される前の昨年7月から昼食の時間帯だけ営業を再開した。自宅は店の隣だが、いわき市中央台の仮設住宅から通う。
 新鮮な魚料理が自慢だった。町に近い、いわき市久之浜港の市場で仕入れ、2時間後には皿に盛り付けた。今は水揚げがないため、仮設に近い中央卸売市場で食材を調達している。
 原発事故では実家や親類など6世帯21人がまとまって避難し、避難所を転々とした。現在は隣り合わせの仮設住宅2軒に住み、自分の母(83)と妻の母(83)の面倒を見ている。広野に帰りたい気持ちはあるが、2人の母も「自分たちだけポツンと帰っても...」と感じている。
 以前は双葉郡内からの常連客も多かった。しかし、6号国道が行き止まりとなって客足は減った。店を始めて10年。「やっと老後まで暮らせる見通しが立ったところだったが、先が読めない」と肩を落とす。

    見通せない将来が、自宅の再建もためらわせる。

 同町下北迫で「松本畳店」を経営する松本功明さん(53)は役場が戻った今もいわき市常磐の仮設住宅から車で1時間かけて作業場に向かう。「町に戻れるようになったら畳の張り替えを頼むよ」。そんな予約が入るようになったのが励みだ。だが、作業場の隣にあって地震で壊れ、取り壊した自分の家を建て替えるかどうかは決めかねている。2人の子どもはいわきでの生活になじんだ。「2人が将来、広野で暮らす気になるだろうか...」。いわき市に近いが原発にも近い。町が置かれる微妙な距離感が心を揺らす。
 町は除染が進めば帰還を考える住民も増えると見込む。しかし、新たな懸念が浮上した。政府が隣の楢葉町などに建設する案を示した汚染廃棄物の中間貯蔵施設だ。同市中央台の仮設住宅に住む女性(41)は「隣町と言っても施設は広大になるはず。広野町北部の住民にとっては、すぐ隣が施設になる可能性もあるのでは」と不安を口にする。
 地震や津波で全壊した住宅は112世帯、半壊が184世帯、一部損壊も1695世帯ある。町内で建設中の仮設住宅は46世帯分で、アパートは原発関連の従業員が入居していて空きがない。住宅の問題などのため町職員の多くも、いわきから通っている。「帰りたい」と思っても、自宅の建て替えや大規模補修という大きな負担に、たじろがざるを得ないのが多くの避難者の実情だ。
 住民の帰還が先か、店などの再開が先か―。問い掛けに黒田耕喜副町長は悩む。「まずはしっかりと除染を行い、以前の姿に戻れるよう、地道な努力を重ねるしかない」

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