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帰還/広野からの報告(36)患者が待っている 医療の再建望む声強く

いわき市の仮設住宅集会所で往診する小鹿山さん。お年寄りの声を聞き優しく語り掛ける

 自分を待っている患者がいるとあらためて感じた。

 広野町には2軒の診療所と病院が1つ、歯科医が2軒あった。そのうちの1軒がJR広野駅前にある馬場医院だ。院長の小鹿山博之さん(55)が診療を再開したのは昨年8月だった。同じ頃に20数キロ離れたいわき市の仮設住宅での往診も始めた。
 「少し散歩をしたほうがいいですね」
 「薬はまだありますか」
 広野町民がいる仮設の集会所で血圧と脈をチェックし問診を繰り返す。避難生活で持病を悪化させた患者もいる。じっくり話を聞くことも往診の大切な役目だ。震災前から馬場医院に通院していた根本シゲ子さん(81)は、2週間おきに診療を受ける。「前から知っている先生なので心強い」と頼りにする。仮設に来てから診察を受けるようになった白土マチ子さん(72)は「腰が痛くて診てもらいに来た。ちょっとしたことでも相談できる」と話す。
 小鹿山さんは金沢市出身。郡山市の病院に勤務していたが平成11年、縁あって馬場医院の3代目の後継者になった。「マチ医者」として地域に向き合い、頼りにされて10年余り。そこに原発事故は起きた。
 住民も散り散りになり自身も一時避難した。しかし「戻ってほしい」という声に医者としてのやりがいを感じた。
 役場が戻っても、住民の帰還が進むかは不透明だ。患者は震災前の4分の1程度になったが「患者さんが減るのは想定内」として医院での診察を週2回の半日にし、それ以外の平日は仮設住宅に車を走らせ往診に当たる。「患者の声をすぐに反映できるのが『マチ医者』のいいところだ。必要とされている場所に足を運ぶのも地域医療の原点の1つ。今できる最良のケアをするだけ」と長期的な視野で患者と向き合うつもりだ。

 町で唯一の病院は震災で閉じることはなかった。

 高野病院は広野町の中心部から沿岸部に向かい太平洋を見下ろす高台にある。昭和55年に精神科医の高野英男院長(76)が開いた。外来が精神科、神経内科、内科、消化器内科の4科。入院は内科、精神科の二科だったが職員が足りないため震災後は内科だけにしている。「今の課題は職員不足」と事務長の高野己保(みお)さん(44)が言う。
 震災前、パートを含め33人いた看護師の約6割は南相馬市や双葉郡内から通勤していた。避難に伴い通勤が困難になり半数が辞め、現在は広野町やいわき市の30代から60代まで15人が働く。
 首都圏や近隣などから職員の応募はあるが、町の現状を知って生活基盤に不安を感じ、最終的には家族の反対などで断られるケースが多い。
 一方で元通りの体制を望む声は強い。病院は4月中旬の精神科の入院再開に向け準備を進める。併設する特別養護老人ホーム花ぶさ苑の入所者38人は全員、他の施設に受け入れてもらったままだが復帰とホーム再開も目指している。
 他の医療機関が再開する見通しは立っていない。残った2施設が地域の医療を支えてきたことに山田基星町長は「医療機関があるかないかは町民が帰還を決断する際の大きな要因。町はとても助けられている思いだ」と語る。
 放射線の影響への不安を少しでも減らす
ため、町は復興計画に放射線関連の医療機関誘致を盛り込んだ。町民が健康管理に不安なく生活できるようになるまでは幾つものハードルがある。

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