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帰還/川内からの報告(39)窓明かり探す日々 復興祈りながら二重生活

村長選で村民は現職の路線を支持した。選挙カーに手を振る有権者=4月12日

 22日の川内村長選で遠藤雄幸村長が三選を果たし、村民は「帰村宣言」を支持した形になった。3月に約300人だった帰村者は3週間で約540人に増えたが、避難先と往復する村民も多い。震災前の生活環境を取り戻すには多くの課題が横たわる。帰村と復興への取り組みを加速させる村の現状を報告する。

 隣近所の帰村を待ち望む日々が続いている。
 「電気がついている家はまだ少ねえな」。同村上川内の山守徳美さん(86)、ユキミさん(79)夫妻は、村役場で村長選の投票を済ませた22日の夜、いつもの会話を交わした。窓から見える明かりを数えるのが日課だ。1月の「帰村宣言」を受け、3月の彼岸に合わせて村に戻って1カ月。だが郡山市の仮設住宅は引き払っていない。持病がある2人にとって大きな病院がある郡山は安心感があった。一方で自宅から25キロ先にある原発はまだ不安だ。今週も数日は郡山市で過ごす。生活の軸足は川内に置いたが心は揺れている。
 1年余り前、大きな揺れに襲われたあの日も郡山市の病院にいた。市内の長男の家や神奈川県横須賀市の長女宅で過ごし、10月に仮設住宅に入った。「早く帰りでな」「原発はどんなあんばいだべな」。毎朝4キロの散歩で話すことは帰村のことばかりだった。
 自宅は昨年1月に改築したばかりだった。「やっぱりわが家はほっとする」。それでも今も度々ある原発のトラブルを聞くと、防災無線で避難の呼び掛けを聞いた時の恐怖がよみがえる。ユキミさんは迷う。「長女が定年を迎えたら川内で一緒に住むと言ってくれた。それまで元気に過ごすにはどこで暮らしたらいいんだか...」
 山守さんの近所の吉田頼房さん(74)、貞子さん(70)夫妻は昨年秋から自宅と小野町の借り上げ住宅を2、3日ごとに行き来する「二重生活」を続けている。頼房さんは「自分たちで食べて肥料代が出れば」と稲作を続けてきたが今、田んぼは荒れるばかりだ。小野町の方が通院や買い物に便利なため、しばらく往復する日が続きそうだ。
 貞子さんは昨年、避難先を転々とする中、横浜市で見た桜が忘れられない。「満開なのに心は真っ黒だった」。今年はどんな色に見えるのか。村の桜はまだつぼみだ。
 選挙戦は村で暮らすための課題もあらためて示した。
 除染が終わらない。営業している店舗が少ない。働く場がない。村の自助努力だけでは解決できない問題も見えてきた。村民生活の多くのニーズを担っていた富岡町が閉ざされている現状で、その機能を肩代わりできる周辺都市との距離は大きな負担だ。
 いわき市四倉町の仮設住宅で暮らす女性(60)は、いわき側から村中心部まで細い山道が続く道路事情を嘆く。「母親が仮設の敷地内にあるグループホームに入居している。自分たちだけ戻ったら母親に会うため不便な山道を通うことになる」。運転には自信がない。当面は今の生活を続けるつもりだ。
 猪狩貢副村長は「川内は帰還のモデルであるべきだ。国道や県道の改良、介護施設の整備を関係機関に働き掛ける。国と県からの職員派遣も継続を求めたい」と長期的な支援の必要性を訴える。

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