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【覆された備え7】県の提案で住民参加 難色の国を説き伏せ

平成元年11月の原子力防災訓練に参加した住民=「月刊ふくしま」第272号から

 平成元年7月、県生活福祉部長に就いた新妻威男(77)は、11月に予定されていた原子力防災訓練の計画案を修正するよう部下に指示した。
 「原発立地地域の人たちが入らない訓練には意味がない。住民が避難を体験する内容を盛り込んで計画案を作り直してほしい」。生活福祉部は防災や消費生活、福祉対策などの県民の暮らしに身近な分野を担う。新妻は部の責任者として県民の立場に沿った訓練を求めた。
 訓練を担当する消防防災課の職員は、通産省(現経産省)や科学技術庁(現文科省)に新妻の考え方を伝えた。ところが、国の担当者から思わぬ言葉が返ってきた。「原発は事故を起こすはずがない。住民を参加させる必要はない。いたずらに不安をあおるだけだ」

■第二原発3号機
 県の原子力防災訓練は昭和58年に初めて行われ、その後は2年に1度ずつ繰り返した。平成元年は4回目に当たった。
 3回目までは、県や地元の町、国などの関係機関・団体が中心となって防災態勢をチェックした。ただ、地元の町職員、消防団員などはそれぞれの機関・団体のメンバーとして参加したが、一般の住民は対象に入っていなかった。
 新妻が訓練の見直しを命じた背景には、原発の安全性への疑問があった。新妻が部長に就く半年前。元号が昭和から平成に変わる1月だった。楢葉、富岡両町に立地する東京電力福島第二原発で、3号機の原子炉再循環ポンプ破損事故が起きた。
 ポンプは高温高圧の蒸気を生み出す原子炉の水の流れを調節する。原子炉の出力や安全性に関わる最も重要な機器の1つだった。ポンプの部品が壊れ、核燃料を納めている原子炉圧力容器内に部品の金属片が流入した。わが国の原発で起きたことのない深刻な事故だった。

■国の専管事項
 新妻は、原発で使われている金属に経年劣化の懸念があることを強く意識した。「将来にわたって原発に異変が生じないと断言できるのか。万が一を考えるべきだ」
 新妻の指示を受け、消防防災課職員は住民の訓練参加を何度も国に掛け合った。当時、地方自治法などの関係法令で、国は県を指導する強い権限を持ち、県の申し入れを拒むことも可能だった。
 何よりも、原発の運転管理や安全規制は国の専管事項だった。そこに県や市町村などの地方自治体が口を出す余地はほとんどなかった。しかし、新妻ら県の担当者は住民参加の必要性を粘り強く訴え、国の担当者を説き伏せた。
 県は地元の理解を求める活動にも取り組んだ。福島第一原発が立地する大熊、双葉両町に担当職員が通い、公民館や集会所で訓練の事前説明会を開いた。住民の関心が高まり、両町から合わせて140人の参加が決まった。
 11月10日、訓練は福島第一原発周辺で行われた。「第一原発5号機で異常が発生、放射性物質が周辺に漏れる恐れ」との想定だった。住民は自宅などから各地区の公民館に集合した。バスで双葉町体育館に移り、放射性物質の汚染確認検査などを受けた。放射線医学総合研究所の専門家の説明も聞いた。
 新妻は双葉町図書館に設けられた災害対策現地本部で、訓練が計画通りに進んでいるかを確認した。「住民の避難は無事完了」。担当者から連絡を受け、安堵(あんど)したことを覚えている。
 県の訓練はその後、住民参加などの規模を拡大しながら続けられた。新妻は「事故が起きた後で、訓練が役に立たなかったと批判することはできるかもしれない。しかし、当初は難色を示していた国に住民参加の必要性を認めさせた。意義はあった」と語る。
 福島第二原発3号機の再循環ポンプ事故と、住民参加を組み入れた県原子力防災訓練。平成元年は、本県が国の原子力行政に地方から発言を強める契機の年となった。しかし、国や東電の姿勢は容易には変わらず、原発の安全対策の強化を訴え続けた地方の声は国の政策に十分には反映されなかった。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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