東日本大震災

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【覆された備え8】「過酷事故」想定なし 訓練規模 膨らんだが...

県は原子力防災訓練を平成12年から毎年、実施した。訓練で自衛隊の車両を使い、避難所に到着した住民

 「シビアアクシデント(過酷事故)に対応する訓練にしたい」。10年ほど前、原子力防災を受け持った県職員は県の主な部局に相談を持ち掛けた。
 ところが、一部の部署から予想もしなかった答えが返ってきた。「そんな言葉はない」。過酷事故が起きるという考え方が、原子力行政の場で公に語られることが少ないころだった。
 「原発から放射性物質が大量に飛び出すような事故を前提としなければ、訓練を充実できない。それなのに、被害を考えることさえ否定された」。提案した職員は当時のやりきれなさを思い起こす。

■隔年から毎年へ
 県の防災部門が過酷事故を意識し始めた大きなきっかけは、平成11年9月の茨城県東海村のジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の臨界事故だった。2人が死亡、663人が被ばくした国内の原子力開発史上、最悪の事故だった。本県にとって隣接する県の出来事であり、県の担当者の衝撃は大きかった。
 県は2年に1回だった原子力防災訓練を平成12年から毎年の実施に変更した。だが、当時の訓練は、臨界事故のような重大事故に十分に対応できる内容ではなかった。
 「放射性物質が原発から広範囲に拡散したらどう対応するのか」「原発施設内で大規模な火災が発生した場合に誰が消すのか」。県の担当者は過酷事故に対応できる住民の避難・誘導や救急医療、消防などの態勢を打ち出すべき、と考えた。しかし、関係部局の調整の結果、過酷事故を想定した内容が組み入れられることはなかった。
 東京電力福島第一原発事故は、県原子力防災訓練の想定をはるかに上回る過酷さだった。かつて、訓練を担当した職員の1人は「水素爆発が起きるとまでは思わなかった。だが、最悪の事態を考えない訓練は、誰の役に立ったのだろう」と自問自答する。

■通算20回
 昭和58年に始まった県原子力防災訓練は、回を重ねる中で規模が次第に膨らんだ。
 平成20年10月の訓練は2日間にわたり、国や県、町、関係団体などから延べ約5600人が参加した。第1回訓練の8倍近い数字だ。訓練項目も多岐にわたった。
 第三者機関の民間会社や独立行政法人が訓練の内容や結果を評価し、改善点を指摘した。最近まで原子力防災に携わった職員は「訓練の規模が大きくなり過ぎ、検証や訓練計画の見直しなどのアフターケアが十分とは言えない状態に陥った」と悔やむ。
 平成22年11月、通算で20回目の原子力防災訓練が福島第一原発の周辺地域で行われた。「3・11」の約4カ月前だった。訓練の記録集には、参加者の意見が掲載されている。「災害時は、想定外のことが起こる」

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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