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【覆された備え13】10キロ圏外「空白地域」 町単独の対応に限界

浪江高津島校に避難した浪江町民。その後、町民は二本松方面に避難した=昨年3月、浪江町提供

 浪江町長の馬場有(63)は町民の避難範囲を広げるかどうか悩んだ。東日本大震災の発生から一夜明けた昨年3月12日午前。馬場は東京電力福島第一原発事故の状況が悪化の一途をたどっていることをテレビで知った。
 先に出された政府の避難指示は原発から半径10キロ圏の外に住民を移動させる内容だった。「原発は大変なことになっているようだ。20キロより外に出るべきだ」。10キロ圏の避難指示が出てから約5時間後の午前11時、町は福島第一原発から約27キロ離れた津島支所に役場機能を移すことを決めた。
 10キロ圏外に避難を呼び掛けていた防災行政無線の内容は、さらに西の津島方面に避難するよう変更した。
 「慌てずに避難してください。自主的に避難できない方は、役場でピストン輸送します」

■激しい渋滞
 町は昭和51年、原子力災害対策計画を作った。福島第一原発1号機が稼働した5年後だった。その後、改正を繰り返した。
 計画には福島第一原発から半径10キロ圏内の避難場所として24カ所を記している。原発に最も近い「4~7キロ」は請戸小とJA請戸支所。最も離れた「9~10キロ」は浪江高、社会福祉施設・オンフール双葉、苅野小、苅野多目的研修センターだった。
 しかし、その外側は避難場所の指定などの対応が盛り込まれていない「空白地域」だった。国や県が10キロ圏よりも遠い場所への本格的な避難を想定していない中で、町が独自に広域避難などの具体的な対策を打ち出すことは困難だった。
 町民は繰り返される防災行政無線のアナウンスを聞き、114号国道で津島方面に向かった。道路は激しく渋滞した。人口1500人程度の津島地区に、8000人近くが押し寄せた。公共施設に入り切れず、地区内の至る所に路上駐車の列ができた。1つの地域が収容できる人数を大きく超えていた。
 津島地区は町の原子力災害対策計画で、町民を受け入れる避難所さえ決められていない。町民の誘導、物資の調達などの対応は手探りだった。

■賞味期限切れ
 4月21日に二本松市で開かれた国会事故調に参考人として出席した町議会や町行政区長会の代表は深刻な状況を説明した。
 「炊き出しのおにぎりは1日に5000個だった。8000人が避難し、足りなかった。食料もガソリンも灯油もなかった」
 「賞味期限切れのパンを家族で分け合った」
 「県の災害対策本部に食料や毛布の支援をお願いしたが、対応してもらえなかった」
 阿武隈山系の山あいにある津島地区には場所によっては約20センチの積雪があった。町民は空腹と寒さに苦しむ。町が単独で対応できる状況ではなくなっていた。「国はなぜ、広域的な対策を講じていなかったのか」。町職員は1年前の悔しさを思い起こす。
 津島地区は後に国や県などの調査で放射線量が高いことが判明し、今も県内各地の中で高い部類に入っている。
 事故発生直後、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)は、津島方面に放射性物質が拡散する予測を示していた。だが、政府や県はその当時、公表しなかった。
 この問題は1年が過ぎた今年4月、SPEEDIのメールのデータを消去した県職員が処分される問題にまで発展した。
 21日の国会事故調で、住民の代表は「SPEEDIの情報を知らされない中で、子どもたちは外で遊んでいた」と被ばくへの不安を口にした。馬場は国会事故調の委員に真相究明を訴えた。
 避難から2日後の14日、「葛尾村が全村避難している」との情報が町に入った。葛尾村は津島地区のすぐ隣だった。午前11時ごろには福島第一原発3号機が爆発した。
 「ここにいても危ないんじゃないか」。住民に不安が広がる。町は翌15日朝、二本松市への避難を判断した。約2万1000人の全町民が町を追われる事態に追い込まれた。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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