東日本大震災

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古里の味 守り抜く なみえ焼そば 製造再開へ準備

浪江町の名物「なみえ焼そば」の麺の製造再開へ準備を進める鈴木さん

■製麺業「旭屋」代表社員鈴木昭孝さん(55)
 「帰還の道のりは厳しいが、浪江の味は守り抜く」。浪江町で創業77年の歴史を誇る製麺業「旭屋」の代表社員鈴木昭孝(あきよし)さん(55)=郡山市清水台=は、全国的に有名になったご当地グルメ「なみえ焼そば」の麺の製造再開へ準備を急いでいる。東京電力福島第一原発事故で郡山市に避難したが、昨年7月に麺の委託製造と販売を始め、3月に郡山市内に仮事務所を構えた。
 鈴木さんは浪江町出身。双葉高、日大商学部卒。24歳で家業の製麺会社に入り、27歳で代表社員となった。うどんやそば、ラーメンの製造を手掛け、納入先は学校や病院、企業、スーパーなど相双一円に及んだ。町の名物「なみえ焼そば」の麺を30年以上手掛け、浪江町商工会青年部でつくる「浪江焼麺太国(なみえやきそばたいこく)」と協力しB-1グランプリなどで全国に売り込んできた。
 原発事故は、鈴木さんの仕事と生活を一変させた。JR浪江駅前の工場兼自宅は警戒区域となり、家族で東京や埼玉、福島市に避難した。昨年7月に郡山市内の借り上げ住宅に落ち着いたが、父(93)、母(91)、妻(53)の3人は体調を崩し入院。パートを含め12人の従業員は県内外に散り散りになった。
 避難後もスーパーや個人客からなみえ焼そばの注文があり、昨年7月から他社に製造を委託し、販売している。3月には郡山市内に事務所を借り、従業員2人が戻った。避難先で麺を食べた町民から「古里が懐かしくなった」との声が相次ぎ、胸が熱くなった。
 震災前、町内に2社あったなみえ焼そばの麺の製造会社で操業しているのは旭屋のみ。太麺が特徴のなみえ焼そばは、粉の質や粉に混ぜるかん水の配合比率などに細心の注意が必要で、「作り慣れた地元業者の麺が一番」との自負がある。
 浪江町以外の相双地区で新工場の建設用地を探している。今年度中に新工場での操業再開が目標だ。

カテゴリー:連載・再起2012

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