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【川俣・無防備の戸惑い2】急きょ避難者を収容 町民の不安も高まる

川俣町の避難所で、炊き出しのおにぎりを待つ浜通りからの避難者=昨年3月13日、川俣町提供

 携帯電話の着信音が夜明け間際の静けさに響いた。昨年3月12日午前6時ごろ、川俣町役場の町長室。東日本大震災の発生から初めての朝が訪れようとしていた。
 町長の古川道郎(67)は、保健センターに設けた災害対策本部で、夜通しで陣頭指揮を執った。地震で散乱した書類などを整理するため、町長室に戻っていた。
 古川は電話を耳に当てたまま、戸惑いの表情を浮かべた。「原発が危険な状態だ。町民を避難させなくてはならない。全町民を受け入れてほしい」。双葉町長、井戸川克隆(65)の緊迫した声だった。
 双葉、大熊両町に立地する東京電力福島第一原発は、川俣町役場から約47キロの場所にある。古川の手元には、原発事故の情報が具体的には届いていなかった。川俣町は地震で大きな被害を受け、古川は自らの町の全容さえ、つかみきれていない段階だった。

■いわきナンバー
 双葉町の人口は約6800人。川俣町の人口約1万5000人の半分に近い。容易に受け入れられる数ではなかった。
 電話越しとはいえ、井戸川の危機感が伝わってきた。「できる限り対応する」。古川は、そう答えて電話を切った。そして、間髪を入れず、災害対策本部に指示した。
 「双葉町から避難者を受け入れる。まずは川俣小、川俣南小の体育館を開放する」。町総務課消防交通係長の佐々木弘幸(47)は町役場本庁舎の防災無線基地局で、対策本部からの連絡を受けた。
 佐々木は、夜を徹して町内を見回っていた町消防団幹部に、避難者の誘導を依頼した。本部に詰めた職員は施設の収容人数の確認、食事の準備、毛布などの資材確保に走りだした。町地域防災計画には書かれてない原発事故への対応が始まった。
 そのころ、浜通りから町内に入る114号国道は既に車があふれていた。町内は全域が停電し、信号機は止まったままだった。「交差点が大渋滞している。警察官が来ていない」。消防団員から混乱を伝える無線が入った。佐々木は休む間もなく、本部の指示を団員に伝えた。団員は町内各地で交通整理と誘導、避難所の開設や警備に奔走した。
 2つの小学校の体育館は避難者ですぐに満杯になった。町は学校など11カ所の公共施設を次々と開放した。「いわき」ナンバーの車両が校庭などの臨時駐車場を埋め尽くした。ガソリンスタンド周辺の道路は、車の長い列ができた。町が浜通りの市町村から受け入れた避難者は、最大時で6000人を超えた。

■悪化の一途
 12日夜からは電気が復旧し始めた。県との間の衛星電話や携帯電話も徐々につながった。佐々木は無線機の前に座り続けた。震災発生から5日間、眠った記憶はない。「通信が滞り、限られた情報しか入らない。目の前のことに必死で、時間はいつの間にか過ぎていった」。初めて家に帰ったのは震災から6日目の16日夕方だった。
 川俣町が避難者の受け入れに追われていたころ、福島第一原発事故は水素爆発などで悪化の一途をたどった。放射線量の測定が本格的に始まり、放射性物質が広い範囲に拡散していることが確実となった。
 15日には福島第一原発から20~30キロ圏内に屋内退避指示が出された。川俣町と接する浪江町、葛尾村などで住民の避難が始まっていた。両町村との境にある山木屋地区は福島第一原発から30キロ余り。「避難しなくてもいいのか」。住民は町災害対策本部に不安を訴えた。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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